プレーバック日刊スポーツ! 過去の12月19日付紙面を振り返ります。2005年の11面(東京版)は、世界ヘビー級に規格外の不敗王者が誕生しました。

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<プロボクシング:WBA世界ヘビー級タイトルマッチ>◇2005年12月17日(日本時間18日)◇ドイツ・ベルリン◇12回戦

 スター不在の世界ヘビー級に規格外の不敗王者が誕生した。WBA同級1位の巨人ニコライ・ワルーエフ(32=ロシア)が、同級王者ジョン・ルイス(33=米国)を2-0の判定で下し世界王座を獲得。身長213センチ、体重146・8キロの史上最長身、最重量の世界王者となり、不敗の戦績を43勝(31KO)1無効試合に伸ばした。新人時代に日本で武者修行経験を持つ異色の新星が、元統一王者マイク・タイソン(米国)、前WBC王者ビタリ・クリチコ(ウクライナ)引退後の、動乱のヘビー級戦線の主役に躍り出た。

 頭1つ大きいワルーエフがルイスを追い詰めた。身長で25センチ高く、体重で45キロ重い巨体でルイスの動きを止めた。逆転KOを狙ってきた王者に動じず、2-0のきん差判定勝利で王座を奪った。「この瞬間を12年間も待った」。ロシアの大巨人は初めてつかんだ世界のベルトに酔いしれた。

 ロシアの元円盤投げジュニア王者。バスケットで活躍した経験もある。大巨人にありがちなスローさはない。それでも、その大きさゆえに長い間、色眼鏡で見られた。物珍しさから世界中から出場依頼が届くものの、世界挑戦まで計画されることはなかった。それでも腐らずに地道に白星を積み重ね、32歳にして自力で世界1位まで上り詰めた。

 日本で武者修行した意外な経歴を持つ。協栄ジムに発掘され、97年7月に初来日。世界戦の前座のリングに2度上がった。日本製10オンスのグローブが入らず、手首部分を切り、強引なテーピングで止めたという。金平会長は「試合場のコンクリート壁をグローブを付けて殴ったら壁がへこんだ」と明かす。スパーリングでは99年のK-1 WORLD GP開幕戦にも出場したバイラミを右フックで1発で倒した。

 今年は元統一王者タイソンが事実上引退。次代の顔といわれたWBC世界同級王者クリチコも暫定王者ラクマンとの統一戦前にヒザの故障で試合をキャンセルし、引退発表した。新旧の主役が消えた年の末に、異色の新星が現れた。「オレは怪物ではなくスポーツマンであることを証明する」。ワルーエフもヘビー級の救世主を自負している。

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 ◆最長身王者 ワルーエフ以前は前WBCヘビー級王者ビタリ・クリチコの202・5センチが最大。統一王者では1910年代に君臨したジェス・ウィラードの198・7センチが最高だった。

 ◆最重量王者 ワルーエフ以前は33~34年に王者だったプリモ・カルネラ(イタリア)の2度目の防衛戦の270ポンド(123キロ)。ちなみに挑戦者ローランの体重は84キロだった。

 ◆最小王者 最も身長が低かったのは20世紀初頭に活躍したトミー・バーンズ(米)の168センチ。最も体重が軽かったのは1890年代に王座を獲得したボブ・フィッシモンズ(英国)の75・8キロ。この体重は現在のスーパーミドル級にあたる。

 ◆有名王者の体格 統一王者レノックス・ルイス(英国)は196センチ、110キロ前後。ムハマド・アリ(米)は190センチ、100キロ前後、マイク・タイソンは180センチ、100キロ前後だった。

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 ◆ニコライ・ワルーエフ 1973年8月21日、ロシア・サンクトペテルブルク生まれ。20歳からボクシングを始める。93年10月にプロデビュー。94年はアマチュアの大会に出場。ロシア選手権スーパーヘビー級で準優勝。グッドウィルゲームズでも準優勝した。アマ戦績は12勝(7KO)3敗。95年からプロに専念。99年と02年に2度ロシア・ヘビー級王座獲得。右ファイター。

※記録と表記は当時のもの