大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。

 大横綱の死去は、各界の関係者に大きな衝撃を与えた。

 コメントは以下の通り。

九重親方の遺体が無言で部屋に到着。力士らに迎えられる。手前右は佐ノ山親方
九重親方の遺体が無言で部屋に到着。力士らに迎えられる。手前右は佐ノ山親方

貴乃花親方 「いまは厳粛に静粛に受け止めています。現役時代には胸をお借りし、鋼の肉体に額をおそるおそる当てたことを忘れてはいません。まだ下積み時代に横綱から、早く上に上がってこいと激励のお言葉をたまわったことも忘れてはいません。いまはご遺族に哀悼の意をささげております」


元横綱朝青龍 「悲しい悲しいな涙が止まらない…憧れの力士、角界の神様、横綱たちの横綱よ~~悲しいな。親方よ 夏にモンゴルに来てイトウ釣る約束は?悲しいな涙」


横綱日馬富士 「言葉が出ない。何て言えばいいか…。鳥肌が立っています。大好きな大好きな方。あの方の相撲を見て勇気をもらっていた。小さい体でもこういう相撲を取ればいいんだと強い気持ちにさせてくれた。よくかわいがってもらいました」


佐ノ山親方(元大関千代大海)「師匠が好きで憧れの力士だった。本当にしみじみと(悲しみを)感じている。名古屋場所中に稽古場で指導内容を話したのが最後の会話。ご遺体の手を握りながら『今までありがとうございました』と言った」


玉ノ井親方(元大関栃東)「すごい人だった。存在が違った。スターですし、大きな存在を亡くした。すごい横綱だった。急なことで、悲しいの一言。気持ちを引き継いでしっかり頑張りたい」


尾車親方(元大関琴風)「年齢は2つ上、まさに戦友でした。初顔は78年夏、私が寄り切りで勝ち、その後5連勝しました。すると突然、佐渡ケ嶽部屋に出稽古に来るようになりました。東京にいても、巡業にいても、いつも胸を合わせました。右手の指が裂ける大けがも気がつかないほどでした。鋭い当たりから中に入って左前まわしを取られたら体が浮いてしまい、つま先立ちの状態になるほどでした。そして、その後は11連敗です。本当に強かったです。これからは協会のご意見番としてアドバイスをいただきかっただけに残念です」


芝田山親方(元横綱大乃国)「こんなに早く亡くなるとは思っていなかった。当時は千代の富士、同部屋の北勝海がいて、一門が違う大乃国がいた。そういう相手がいたから、土俵を沸かせられたのではと思う。相四つだったので、なんとか先に左の上手を取らせないように研究した」


ソフトバンク王貞治球団会長 「九重親方の訃報に接し、大変残念でなりません。土俵での圧倒的な強さで、31回の優勝など数々の記録を打ち立て、相撲界を大いに沸かせてくれました。一時代を築いた心に残る横綱でした。謹んでご冥福をお祈りします」


日本ハム栗山英樹監督「食事をしたことがあり、おおらかで大きな人だった。けがをトレーニングで克服したのを(かつて教壇に立っていた)大学の授業でも話したことがある。ショックで残念」


楽天梨田昌孝監督「悪いのは知っていたが、すごくショック。体は小さいが強いし、スケールの大きさがあった。ゴルフではアプローチもパットもうまい。酒(の飲み方)も豪快だった」


ロッテ伊東勤監督「われわれの子どものころのヒーローだった。相撲人気が復活して、盛り上がってきている。ヒーローが亡くなって残念」


横浜FCカズ(三浦知良) 「何回かお会いしたことがあります。まだお若い。残念ですね」


元NHKアナウンサー杉山邦博さん 「努力の人で、とにかく強かった。力士になった当初は体が小さいのに上手投げにこだわって相撲を取っていたため、肩の脱臼が相次いだ。そこから自分を変え、一直線に前に出るスタイルにしたことが歴史に残る『小さな大横綱』の誕生につながった。自分を変えることはなかなか至難の業だが、見事に成し遂げた。自分と向き合う強い気持ちを持っていたからだろう。横綱としても一人の人間としても誇り高かった。最大級の賛辞を贈りたい」

1981年初場所、優勝決定戦で北の湖を破り、初優勝を決めた関脇・千代の富士(写真は1981年1月25日)
1981年初場所、優勝決定戦で北の湖を破り、初優勝を決めた関脇・千代の富士(写真は1981年1月25日)

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横綱千代の富士(写真は1989年1月10日)
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