弔いの大相撲春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)に向けて、時津風部屋が始動した。部屋付きの間垣親方(元小結時天空)が1月31日に37歳で死去後、初めての稽古が2日、東京・両国の同部屋で行われた。初場所千秋楽以来の稽古始めでもあり、中でも部屋頭の関脇正代(25)は亡き親方への恩返しを胸に誓った。

 前日昼すぎまで間垣親方の遺体は、稽古場が見渡せる上がり座敷にあった。叱咤(しった)激励してくれた親方の姿は、もうそこにはない。ただ、以前の双葉山道場から持ってきた羽目板の上に、その魂は刻まれていた。全力士を含めた現役の部屋関係者とは別に、真正面に下げられている、歴代関取衆の木札。そこには確かに「時天空」と記された木札がある。姿はなくとも魂は残されていた。

 張り詰めた空気の中、正代は十両小柳との三番稽古を8番取って汗を流した。稽古終了後、重い口を開いて東農大の先輩でもある、亡き親方に思いをはせた。「振り返ってみると今の僕があるのは天空関のおかげです」。付け人としても世話になった。口酸っぱく指導されたのは「腰を落とせとか立ち合いのこと」と言う。

 ショックからか食欲がわかず、この2日間は食事らしい食事をとれなかった。「昨日の夜、やっとおにぎりを食べました」。前夜は一晩はもつ渦巻き状の線香が、遺体のそばでたかれていた。それでは気が済まないと思ってか、正代は棒状の数分しかもたない線香をたき続けたという。

 師匠の時津風親方(元前頭時津海)によると、間垣親方は寝たきりで入院中も正代の取組になると、車いすに起き上がりテレビを凝視。負けると「バカヤロー!」と叫んでいたという。そんな話を振っても、なかなか口は開けない。湿っぽい話は「逆にウジウジしてたら、怒られる気がする」と遮った。弔いの思いは、胸に深く刻みつければいい。【渡辺佳彦】