「ゲバゲバ90分!」「夜のヒットスタジオ」などバラエティー番組や歌番組の軽妙な司会で、「マエタケ」の愛称で人気を集めたタレント前田武彦(まえだ・たけひこ)さんが、5日午前11時16分、肺炎ため都内の病院で亡くなった。82歳だった。約5年前に大腸がんの手術を受けて回復。7月中旬までラジオにも出演していたが、体調悪化のため同月28日から入院していた。葬儀は近親者で執り行う。後日、お別れ会を開く予定。

 関係者によると、前田さんは約5年前に大腸がんと診断されたが、手術は成功し、その後は普通に生活していたという。腸閉塞(へいそく)気味の症状が続いていたものの便通は良く、約20年前から糖尿病も患っていたが、1人で歩いて、食事も普通にとっていた。しかし、7月28日朝に脱水症状からショック状態となり緊急入院。治療と検査で、ほかの臓器も弱っていることが分かり、直後に意識を失い、その状態が続いていた。この日朝に容体が急変し、妻の嘉子さん(83)ら家族にみとられて息を引き取った。

 都内の自宅前で会見した長男塁さん(52)は「入院した7月28日は両親の59回目の結婚記念日で、前日は『明日、何を食べに行こうか』と話していました。こんなに悪くなるとは思っていなかったのですが、集中治療室(ICU)に入って『俺だよ』と声を掛けたら『あー』と力なく声を出してすぐ意識をなくしました。昔、忙しかった時も家族の時間を大切にして、いろいろな所に連れて行ってくれました。悔いのない人生を送れたと思います」と話した。

 前田さんは60年代後半から70年代にかけてテレビの顔だった。放送作家として53年にNHK「こどもの時間」の脚本を書き始め、日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」では故青島幸男さんとともに活躍。ラジオ番組「東芝ヒットパレード」などのパーソナリティーも務めたことから、タレントとしての活動を始めた。

 68年にフジテレビ系歌番組「夜のヒットスタジオ」で芳村真理と司会を務め、個性的な司会が人気を呼び「マエタケ」の愛称で親しまれた。毒気を含んだ話術で若手女性歌手を泣かせることも多かった。69年から放送の日本テレビ系「巨泉・前武のゲバゲバ90分!」では当時人気を二分した大橋巨泉と組んで高視聴率を記録。フジテレビ系「ゴールデン洋画劇場」の初代映画解説者となり、日本テレビ系「笑点」でも立川談志の後を受けて2代目司会を1年間務めた。

 しかし、台本を無視した「フリートーク」「楽屋落ち」という当時は斬新な手法を取り入れたトークの面白さの一方で、毒舌が物議を醸すこともあった。

 73年に「夜のヒット-」生放送中、選挙に当選した共産党候補者に向けて「バンザイ」と叫んで、当時のフジテレビオーナーの怒りを買い、司会を降板させられた。その影響で一時期、番組を相次いで降板するなどテレビ界から干された。

 90年代にはTBS系「朝のホットライン」のお天気キャスターや俳優として映画「男はつらいよ」「釣りバカ日誌」シリーズに出演した。晩年は旧知の永六輔さんのラジオ番組に度々出演し、入院直前の7月16日放送のTBS「土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界」が最後の出演となった。