歌手氷川きよし(34)ら、多くの歌手やタレントを育てた大手芸能事務所、長良プロダクション会長の長良じゅんさん(本名・神林義忠=かんばやし・よしただ)が2日(日本時間3日)、米ハワイの名門ゴルフ場ワイアラエCCで事故死した。74歳だった。34歳の男性とプレーしていた長良さんは、17番ホールから18番ホールへと移動する際、カートの運転を誤って小川に転落、カートの下敷きとなった。心肺停止に陥り、搬送先のクイーンズ総合病院で死亡が確認されたという。遺体は検視に回り、死因を調べている。葬儀は未定。

 長良さんにとってハワイは年始、ゴールデンウイーク、夏休みに毎年訪れる、なじみの土地だった。男性は足を骨折した。東京の事務所にも連絡が入り、関係者によると、悲報を伝えられた所属タレントは一様に驚いたという。

 長良さんは父の東天晴さんが浪曲師だったこともあり、18歳で長野の大手興行会社に入社。雪村いづみ(75)の初代マネジャーになった。義理人情に厚い人柄で、借金を抱えていた水原弘さん、日活での活躍後低迷した小林旭らが助けを求めれば、拒まず手を差し伸べ復活に導いた。若山富三郎さん、勝新太郎さん兄弟とも親交が深く、生前「自分が生きてきた中で1度も嫌な思いをしたことがない2人が、勝新太郎と美空ひばりだった」と語った。

 06年10月に愛妻公恵さん(享年68)を亡くしてからも、スター育成へ熱い情熱を注ぎ、最近では氷川や水森かおりらを育てた。特に氷川への思いは強く、デビュー時には父の芸名を取り「天晴(あっぱれ)きよし」にするプランがあった。また09年発売の氷川の10周年記念曲「浪曲一代」は、自らの人生を歌わせたいという思いがあったという。芸能界に愛された長良さんの突然の死に、業界に波紋と悲しみが広がっている。

 ◆長良じゅん

 1938年(昭13)3月10日、東京・浅草生まれ。56年に木倉音楽事務所に入社。71年に「長良事務所」の代表者になり、87年に広済堂プロダクションに社名変更したが、99年に同プロから独立し「長良プロダクション」を設立。03年に「長良グループ」会長となり、長男の義弘氏が社長に就任。