宮沢りえ(41)が初の主演女優賞を射止めた。7年ぶりの主演映画「紙の月」で不倫相手のため横領に手を染めるOLを演じた。日刊スポーツ映画大賞では89年に「どっちにするの。」で新人賞、02年には「たそがれ清兵衛」で助演女優賞を受賞。名実ともに日本を代表する女優になった。

 40歳を区切りに宮沢は「表現する場を広げたいと思った」という。30代は演劇を中心に活動。映像の仕事にも目を向けようと思った時、「紙の月」の依頼が届いた。「戸惑いもあったけれど、違う女優さんがやっているのは見たくない。やりたいという欲望が勝った」。

 平凡なOLが不倫の恋に落ちて転落する。「見たことのない自分に会いたい。前にも、こういう自分がいたというのはつまらない。ずっと成長したい。これまでにない役はドキドキするけど、そういう自分に出会えた今回は達成感が大きかった」。

 全力疾走するクライマックスが印象的だ。撮影ではカメラマンが乗るトラックを追いかけた。「付いていくのに必死。負けず嫌いなので『スピードを落として』とは言わず、結局、肉離れに。吉田大八監督は『もういい』と言いましたが『妥協するのはやめましょう』と、また走りました」。

 映画「四十七人の刺客」で共演した高倉健さんが亡くなった。「ぽっかりと心に穴があきそうになったけど、健さんの『夜叉』を見た時、(作品が)こうやって残っている、穴があくのではなく、健さんは埋めることをしていた。表現者としての姿勢、生き方を見習いたい。100年後も残る作品を作るには、もっと覚悟が必要。志を高く持っていたい」。

 自分を支え続けてくれた母光子さんが9月に死去した。「今の自分に恥じない、明日の自分を作っていきたい。簡単に飛べるハードルほど、つまらないものはない。才能ある方との仕事はオーディションと思い、もう1度仕事したいと思ってもらえる人間でいたい。死ぬまでオーディションが続くと思う。大変だけど、1ミリぐらい喜びが上回るんです」。【林尚之】

 ◆宮沢(みやざわ)りえ

 1973年(昭48)4月6日、東京都生まれ。88年に映画「ぼくらの七日間戦争」で女優デビュー。映画は、02年「うつつ」、04年「父と暮せば」、05年「トニー滝谷」「阿修羅城の瞳」、06年「花よりもなほ」、07年「オリヲン座からの招待状」など主演。168センチ、血液型B。

 ▼紙の月

 銀行員の梨花(宮沢りえ)は優しい夫と不自由ない生活を送っていたが、ふとしたことから大学生の光太(池松壮亮)と不倫の恋に落ちる。学費の工面に困っていた光太を助けようと、顧客の預金に手を付けてしまう。吉田大八監督。

 ▼主演女優賞・選考経過

 宮沢りえが安藤サクラらをかわした。福岡翼氏は「映画館へ足を運ぶ意味のある女優。堂々たる主演女優」と存在感を称賛。伊藤さとり氏も「『紙の月』ははまり役だった」と評価。安藤には「『0・5ミリ』は女優の力でもった3時間だった」(寺脇研氏)と称賛も集まったが及ばず。宮沢が投票1回目で過半数を獲得。