将棋の羽生善治氏、囲碁の井山裕太氏に国民栄誉賞が授与された、2月13日の首相官邸のホール。取材記者が会場に通される前に、ご両人や関係者はすでにホール内で着席していたのだが、メディアの視線は紋付きはかま姿のご両人の後ろに座っていた、1人の女性にくぎつけになった。

 「羽生さんのお嬢さんらしい」。そんなささやきが、聞こえてきた。

 官邸側の事前説明では、羽生氏の長女、舞花さんだった。白いジャケット姿で、ロングヘアの雰囲気は、「畠田理恵」として活躍した母の理恵さんを思わせたが、眼鏡の奥の目元は、羽生氏にも似ているような気がした。舞花さんは、羽生氏が、安倍晋三首相から賞状や盾を授与される様子を、拍手をしたりしながら静かに眺めていた。

 先日、朝日杯で藤井聡太六段に敗れたとはいえ、羽生氏は名実ともに将棋界の第一人者だ。個人的には「孤高の勝負師」というイメージで、家族や生活感をまったく感じさせない印象を持っていた。国民栄誉賞の授賞式に家族を連れて訪れた勝負師の姿は、普段の「父親の姿」をかいま見る、貴重な機会になった。

 日刊スポーツで長年、将棋や囲碁を取材する先輩記者によると、授賞式などの式典に、羽生氏の家族が表だった形で出て来るのは極めて珍しいという。過去に、妻の理恵さんが、目立たないところで夫の晴れ姿を見守ることはあったというが、今回は、娘さんだ。これまでさまざまな表彰を受けてきた羽生氏にとっても、特別な意味を持つ機会だったのではないか。

 国民栄誉賞は1977年の創設以降、受賞は今回でまだ26例目。将棋界では初めてのことだ。羽生氏は長女の出席について語ることはなかったが、歴史的な場に臨む自身の姿を、娘さんの目に焼き付けたかったのではないだろうかと感じた。舞花さんの座った席は、羽生氏の斜め後ろ。そこからみえる景色は、まさに「父の背中」だった。

 式典の関連行事をすべて終え、官邸の玄関ホールに現れた2人がお互いを気遣うように歩いていく様子は、普通の父娘の姿だった。

 「父の背中」なんて、あまり考えたことはなかったが、記者は4年前に他界した父親と、同じ業種の仕事を選んだ。知らず知らずのうちに、父の背中を追っていたのかもしれない。不思議とそんなことも頭に浮かんだ。

 「父の背中」という言葉は、父親が紛れもなく一家を支える大黒柱だった時代を、イメージさせる。でも、いまや家族や家庭のあり方は、いろいろだ。男性も女性も働く今の時代には、「父の背中」だけでなく、「母の背中」を追う子供たちもいるはず。羽生氏の背中を見つめる娘さんを見ながら、いろいろなことを考えた。