康生改革、成る-。井上康生監督(38)が率いる柔道日本男子が、史上初の全階級メダル獲得の快挙を達成した。競技最終日の男子100キロ超級で原沢久喜(24)が銀メダルを獲得。7階級制となった88年ソウル五輪以降で女子を含めて初めて、全階級で表彰台に上った。金メダルゼロに終わったロンドン五輪後に就任し、大胆で緻密な変革を続けてきた成果を実らせ、偉大な記録を打ち立てた。男女合計では過去最多計12個のメダルを手にした。

 あの涙とは違った。すべての戦いを終え「全階級でメダルですが」と問われたときだった。「選手たちを信じて…」。教え子たちの顔が頭に浮かぶと瞬間、心は波打った。肩が震え、泣いた。

 井上監督

 4年前は屈辱、無力さに非常に悔しい思いを持ちながら涙したことを、昨日のように覚えている。今日に限っては素晴らしい選手たち、スタッフと、最高の環境で戦えた。幸せなこと。7人は歴史に大きく名を刻んでくれた。

 コーチだった12年ロンドン五輪。「勝たせてやれなくてすまない」と謝罪の涙を流した。そこから変革の時は始まった。

 ブラジル、そこは監督就任の打診を受けた土地だった。12年10月、国際大会のため滞在中、故斉藤強化委員長(当時)から話をもらった。即答はせず周囲に相談したが、「不安はあっても、やるしかないという覚悟は決まっていた」。

 翌11月5日に受託すると、変化こそ信条とした。ダーウィンの進化論。「最も強い者が、賢かったものが生き残ったわけではない。変化に対応できたものが生き残ったのだ」。その一文に真を見た。伝統に引きずられては復活の日は訪れない。確信していた。

 数々の改革案の中で幹となった1つが「アスリートファイル」。合宿で配る資料や、選手自らが毎試合の課題を書いて指導陣が返信を書き込む「課題克服シート」を挟み込ませた。所属先の指導者にも読んでもらい連携を深め、選手に過ちを繰り返させない工夫。男子66キロ級の海老沼は「度々読み返します」と話す。

 さらに稽古では部分稽古を導入した。「残り1分で指導1リード」などの状況に応じた練習は、09年からの英国留学中にノウハウを学んだ。今大会は敗戦後に勝ち上がっての銅メダルが4人。古根川コーチは「気持ちが沈んでいても、試合でその状況になった場合に体が動く」と選手のたくましさを説明した。

 「子供たち」と話す強化選手への愛情は深かった。正月には100人以上に文面を1人ずつ変えてLINE(ライン)を送った。スタッフが朝5時にメールを送ると即返信が来て「いつ寝ているのか」と驚かせることは日常茶飯事。今年の正月には故郷宮崎県の高千穂を訪れた。神々が降り立ったとされる土地。「現役時代は神頼みはしないんですが、できることをやり尽くすと、最後は神に頼みたくなりますね」。今年7月、宮崎合宿が終わると、代表選手をその地に連れ、同じ景色を一緒に眺めた。

 4年間を賭した戦いを終えたこの日、選手、スタッフを集めたシュラスコ店での打ち上げで言った。「日本柔道の復活はなったんじゃないかと言われたが、私はここがスタートだと思っています」。向かうは20年東京五輪。井上流の「進化」には終わりはない。【阿部健吾】

 ◆井上康生(いのうえ・こうせい)1978年(昭53)5月15日、宮崎県都城市生まれ。東海大相模高-東海大-ALSOKを経て東海大柔道部副監督。00年シドニー五輪金。08年引退。東海大体育学部武道学科准教授。家族はタレント東原亜希夫人と1男3女。183センチ。