東日本大震災の発生から4年となる今日11日、U-22(22歳以下)日本代表がU-22ミャンマー代表とフクアリで対戦する。手倉森誠監督(47)は仙台の監督時代に被災して練習場所を失い、千葉県内の施設を借りて再始動した。その地での国内お披露目の試合になる。勝って恩を返し、被災地と低迷する日本サッカー界の希望の光になりたい-。節目に、あらためて誓った。

 あの日から4年。ミャンマー戦の公式会見に出席した手倉森監督は試合の位置付けについて「1次予選の準備、国内お披露目、そして3・11。すべてだと選手には話している。サッカー界の将来、スポーツを通して被災地に勇気を与える。若い男児のパワーを被災地に送れれば」と口にした。

 4年前は仙台のクラブハウス2階にいた。天井が崩れ落ち、割れた窓ガラスが散乱。身長以上の家具はすべて倒れ「逃げろ!」と叫びながら階段を駆け下りた。外に出ると、揺れ動く割れ目から液状化現象で泥水が噴き出す。停電の中、カーナビで見た津波映像に凍りついた。この日と同じように粉雪が舞っていた。

 練習場所を失った仙台に再始動の場を提供してくれたのが、ここ千葉だった。4月3日から9日間、市原臨海競技場と姉崎サッカー場を無償で借りた。実は選手の大半は「仙台に残って練習とボランティアをしたい」と訴えていたが、説得した。「俺らの仕事は被災地に明るい話題を届けて希望の光になること」。世界で競技人口が最も多いとされるサッカーなら、世界に震災を発信できる-。思いは変わらず、代表監督として海外に出るルーツにもなった。今も仙台に住む。昨年10月には弟の浩JFA復興支援コーチと宮城・松島を訪れ覚悟を再確認した。

 日本協会スタッフによると今回の相手は、岩手・釜石市出身の三浦俊也氏が率いるU-22ベトナム代表も候補だった。1次予選で同組となったため実現しなかったが、日本協会も特別な日に動いた。ミャンマー戦は試合開始前に黙とうし、選手が復興のメッセージを掲げる予定だ。【木下淳】