【リール(フランス)12日=塩畑大輔】日本サッカー協会は東京・文京区のJFAハウスで理事会を開き、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のバヒド・ハリルホジッチ氏(62)を、日本代表の新監督として承認した。これを受け、同氏は自宅のあるリールを出発。パリ近郊のシャルル・ドゴール空港から、日本行きの便に乗った。今日13日の到着後に正式契約を結び、就任会見に臨む。八百長関与疑惑で、ハビエル・アギーレ前監督が解任されてから1カ月。日本代表が、再出発の第1歩を踏み出す。

 路上駐車の乗用車の窓も凍り付く、極寒のリールの早朝。朝日が後光のように差し込む中、ハリルホジッチ氏が自宅の玄関から姿を現した。直前には遠い日本で、日本協会の理事会の席上、新監督就任が承認されていた。まだ多くは語れないとしながらも「日本代表のみなさんと仕事ができることを、とても誇りに思います」とすっきりとした笑顔をみせた。

 アルジェリア代表を率いた昨年6月のW杯ブラジル大会では、決勝トーナメント1回戦で、優勝したドイツを延長戦まで追い詰めた。直後にトルコの名門、トラブゾンスポルの就任オファーを受諾したが、同時にACミランからもラブコールを受けていた。今回も日本と同時に、ビッグクラブのマルセイユや、古巣リールもハリルホジッチ氏にオファーを寄せていた。

 一方、日本はW杯ブラジル大会で1次リーグ敗退。再起を期して招請したアギーレ監督には、すぐに八百長疑惑が浮上した。1月のアジア杯は8強に終わり、同監督も解任された。引く手あまたにもかかわらず、苦境にあるチームをなぜ引き受けるのか-。ハリルホジッチ氏は事もなげに言い切った。

 ハリルホジッチ氏 そういう状況を、みなさんと一緒に立て直すために、私は日本に行くんですよ。

 柔和にほほ笑む姿には、プロジェクト成功への自信がにじんだ。オファーを受けてから、既に入念な下調べは済んでいる。世界と互角に戦える可能性を、日本のチームから感じ取った。成算なくして、仕事は受けない。当時2部のリールを、わずか3年で欧州チャンピオンズリーグ出場まで導いた時や、W杯で1次リーグを突破したことがないアルジェリアを指揮しだした時と同じだ。

 「後は日本でお話しします。また会いましょう」とハリルホジッチ氏は締めくくった。“ご主人様”が長く自宅をあけることになることを察したのか、愛犬の白い小型犬、コスモが庭先でごねだした。家に入ろうとしないのを、苦笑いしながら抱きかかえ、「魔術師」は旅の準備のために玄関のドアの向こうに消えた。そして数十分後、準備を終えて自宅を出発する表情は、打って変わっていつものように引き締まっていた。

 ◆バヒド・ハリルホジッチ 1952年10月15日、旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のヤブラニカに生まれる。フランス1部ナントなどで活躍したFWで、ユーゴスラビア代表で15試合8得点。母国のベレジュで指導者になり、パリサンジェルマンではフランス杯を制覇。リールでは年間最優秀監督。08年にコートジボワール代表監督に就任し、10年W杯南アフリカ大会出場権を獲得した後、本番前に解任された。14年W杯ブラジル大会でアルジェリア代表を16強に導いた。家族は夫人と子ども2人。182センチ。元日本代表監督のオシム氏との親交も深い。