U-22(22歳以下)日本代表がU-22ベトナム代表に勝ち、来年1月の最終予選進出に王手をかけた。自陣を固める相手守備に手を焼いたが、前半43分と後半ロスタイム3分にMF中島翔哉(20=東京)がゴール。海外組のFW久保とFW南野が公式戦で初めて同時先発した試合で、主役の座をさらった。日本は明日31日のマレーシア戦に引き分け以上で、来年1月の最終予選を兼ねた本大会に進む。

 試合前に激しいスコールを浴び、試合中に何度も稲妻が走った。気温27度も湿度は80%と蒸し暑く、ぬかるんだピッチ。ボールが足につかず呼吸が合わない。マカオ戦から7人を入れ替えた日本は、5バックの前にMFを4人並べたベトナムを崩す糸口をつかめなかった。日本を知る三浦監督の策に苦戦を強いられた。

 その網を破ったのが、背番号10だった。前半43分、MF中島がペナルティーエリアを左へ流れるようにドリブル。FW南野に当てて後ろにこぼれたボールを拾うと、滑り込むGKの動きを見極め左足で浮かせて決めた。「(南野)拓実からいいパスがきた」。駆け寄る仲間を164センチの体で受け止めた。さらに後半ロスタイム3分、浅野のパスを中央で受けると、ゴール右隅を正確に射抜いた。

 昨年末から11日間、中島はアジア杯を戦うA代表の練習相手を務めた。練習試合で得点するなどアギーレ前監督から「残っていいぞ」と褒められた中で「感じた判断の速さと質」を基準に、どんどんプレーは上向いた。裏腹に、所属の東京ではベンチ外の難しい状況が続く。「今の僕は、こっち(U-22代表)で頑張るしかない」。そう決意して渡った地で結果を出した。

 試合前は、海外組の久保と南野の同時先発が注目された。「2人ともうまいので、僕は合わせてもらいました」と謙遜したが「競争が激しくなったので負けられない。何より楽しみ」と発奮した。久保と南野は2試合しか出場できず、日本協会は今月上旬、この「縛り」を明かすか隠すか議論した。一時は対戦相手に情報を与えない方向に傾いたが、国内組を刺激する好影響を信じて公表。狙い通り、中島が手倉森ジャパン最多の通算13点目で応えた。

 中島の2発で最終予選に王手。明日31日のマレーシア戦に引き分け以上で1位通過が決まるが「またゴールして勝てるよう準備したい」と連発を誓っていた。【木下淳】

 ◆中島翔哉(なかじま・しょうや)1994年(平6)8月23日、東京都八王子市生まれ。松が谷FCから東京Vジュニア。ジュニアユース、ユースを経て12年10月4日にプロ契約を結んだ。高校3年だった同年9月14日の福岡戦でJ初出場&初ゴール。13年に東京へ移籍し即、富山へ期限付き移籍。昨夏、東京に戻った。164センチ、64キロ。利き足右。血液型AB。

 ◆日本の突破条件 最終戦でマレーシアと引き分け以上なら首位通過。日本負け、ベトナム勝ちのケースは日本、マレーシア、ベトナムの3チームが勝ち点6で並ぶ。その場合は(1)当該国間の得失点(2)当該国間の総得点(3)グループ全体の得失点(4)グループ全体の総得点(5)警告・退場ポイント数(6)抽選、で順位を決める。

 日本負け、ベトナムがマカオと引き分け以下の場合はマレーシアが1位。2位に落ちる日本は、1次予選各組2位(計10チーム)の中で上位5チームに入れば突破。ほかのグループとは<1>勝ち点<2>得失点<3>総得点<4>勝利数<5>警告・退場ポイント数<6>抽選、で争う。