男子ハンマー投げで04年アテネ五輪金メダルの室伏広治(41=ミズノ)が、現役を引退することになった。2年ぶりの出場で64メートル74とふるわず、上位8人が行う4投目以降に進めず12位。21度目の優勝はならず「体力の限界。1つの区切りにしたい」とした。体を動かすことは続けるが、世界大会でメダルを争う真剣勝負に終止符。後進の育成とともに20年東京五輪に向けて、日本スポーツ界の発展に貢献していく考えだ。

 雨中を進んだハンマーは、白線の左にそれてファウルに終わった。室伏が上位8人入りを目指した最終3投目だった。5大会連続五輪に導く77メートルの参加標準記録には遠く及ばない。それでも「2年ぶりの大会で、私が育った名古屋で競技ができて良かった」。既に腹は決まっていた。

 「準備時間が短かったとはいうものの、体力の限界を感じています。高みを目指すのは最後です。役割を終えたと思います」

 寂しさや、悔しさは顔に出さなかった。黄金期には考えられなかった成績にも「4年に1度の五輪イヤー。アスリートとしてチャレンジして、出た結果です」と穏やかに笑った。後方のスタンドでいつもビデオを回した父重信さん(70)を探した。「おらんなと思ったら、テレビ解説でした…」。気付きはしなかったが、父は1投目を定位置で見守っていた。「親子であり、コーチ。(最後まで)仲良くできたのは良かった」。選手室伏を支えた光景が、最後の戦いにもあった。

 04年アテネ五輪は金メダルに輝き、12年ロンドン五輪では銅メダルを獲得した英雄も、今回は過去4度の五輪挑戦とは大きくかけ離れた道を歩んだ。東京五輪・パラリンピック組織委員会や東京医科歯科大教授の仕事などで多忙を極め、一昨年までで20連覇を達成した日本選手権を昨年ついに欠場。先月24日に今大会への出場を表明した後も、練習は10回程度だった。

 4月には同じ5大会連続五輪が懸かっていた競泳の北島康介が引退。全身全霊を懸けた姿に室伏は「北島くんは最後までやって立派ですね」と感心したように話した。同志と同じ決断を下し「今後は日本のスポーツに貢献したい。ハンマー投げにしても(日本のトップが)70メートル前後じゃなく、75~80メートルを投げられる選手が出てこないと」。次なる使命は後進の指導など明確だ。

 「思い出の一投は」と聞かれ、鉄人は「最近の練習の一投。ようやくハンマーを理解できてきた」と笑った。衰えることのない情熱は、必ずや次の道に生かされる。【松本航】

 ◆室伏広治(むろふし・こうじ)1974年(昭49)10月8日、静岡県生まれ。千葉・成田高-中京大-中京大大学院。男子ハンマー投げの日本記録(84・86メートル)保持者で五輪に4大会連続出場。04年アテネ大会は優勝したアヌシュ(ハンガリー)のドーピング違反が発覚し、銀から金に繰り上がった。東京五輪・パラリンピック組織委員会では理事とスポーツディレクターを担い、日本オリンピック委員会や日本陸連の理事、東京医科歯科大の教授も務める。187センチ、99キロ。