まだ暑さの残る、10月8日のことだった。

フィギュアスケートの近畿選手権が行われた木下アカデミー京都アイスアリーナに、1枚の紙が貼り出された。欠場者の知らせに「細田采花」の名があった。

一握りのシード選手、国際大会に派遣される選手以外は、12月に行われる日本最高峰の舞台「全日本選手権」に向けて、予選会への出場が必須となる。だが、26歳の細田采花(あやか、関大KFSC)は、予選会の会場にいなかった。

3年前だった。大阪で開催された全日本選手権。23歳は輝きを放っていた。

大技のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)をショートプログラム(SP)、フリーで計3本成功させた。自己最高の8位。国際大会とほとんど縁がない選手が示した可能性は、多くの人々の心を揺さぶった。

以降、理想とするような結果は出なくなった。

翌19年は西日本選手権16位。20年19位。そして-。

3年ぶりの全日本選手権を目指した21年は、予選会にすら出場できなかった。

近畿選手権から2週間足らずの10月21日、拠点の関大にいる細田を訪ねた。久しぶりに話すと、これまで通り、表情は明るかった。

2年前から痛みと向き合ってきた腰、そして膝にダメージがあった。練習と休養を交互に繰り返して過ごし、近畿選手権の1週間前まで「どうしよう…」と悩んだ。決め手を明かした。

「自分の中でアクセル(3回転半)なしで試合に出るのは、あり得なかったんです。やっぱり思うように跳べない。この年齢ですが、それでも跳べなかったら自分にイライラします。その状況が続いたら、跳べないいら立ちより、跳ぶことに対する恐怖が出ました。『できないんだったら、棄権しよう』と思いました」

周囲には3回転半を回避し、演技をまとめることを推す声もあった。だが、信念がそれを許さなかった。

「五輪を狙ってやっているわけじゃない。いつ現役が終わっても、おかしくない年齢です。それなら1試合1試合、自分の今できる最高のレベルでやりたい。『アクセルがあっての細田采花』なので、そこを壊したくなかったです」

8位となった18年の全日本選手権は、初めて経験する不思議な感覚があった。

「普段は声援も聞こえるし、母親が座っている位置まで分かったりします。でも、あの時だけは、声が聞こえませんでした。演技が終わった瞬間に『あっ、終わった』と気づきました」

大会後は進退を悩んだ。当時のコーチは「今季すごく良かったけれど、来季も同じことをするのは難しいよ。続けるのであれば、それは覚悟した方がいい」と真剣に向き合ってくれた。熟考した上で決断し、27歳となる今季も現役を続けている。その原動力がある。

「『五輪に出られるわけでもないのに、大学を卒業し、年齢を重ねてもスケートを続けていいの?』。そう思っている選手もいると思います。『そんな選手の参考になったらいいな』と思う気持ちもあるんです」

将来的にはスケートの指導に携わりたい思いがある。さまざまな指導者の考えに触れて引き出しを増やす一方、今季の故障前には4回転トーループも練習していた。目的は競技会で上位にいくためではない。

「『4回転って何歳まで跳べるんやろう?』っていう疑問があるんです。なんとなく今は、若い時にしか習得できないと思われています。今後私が引退する、しないにかかわらず、体が動く今の時期に4回転に挑戦しておきたいと思っています。それが結果的に『あの年齢でもできるなら』と思ってもらえる一例になれたら、うれしいですよね」

強引に心を整えているわけではなく、細田は心の底から前を向いている。取材の最後、笑ってこう言った。

「西日本(選手権)で落ちたりしているのを見て『あの人、あんな結果なのにスケート続けているんだ。私もいいのかな』と思ってくれる人、いるかもしれないですよね。それはそれでうれしいし『今の状況もいいのかな』って思います」

そんなスケート人生も尊い価値がある。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは五輪競技やラグビーを中心に取材。18年ピョンチャン(平昌)五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを担当。19年はラグビーW杯日本大会、21年の東京五輪は札幌開催だったマラソンや競歩などを取材。

今の思いについて語った後、拠点の関大たかつきアイスアリーナで笑顔を見せる細田采花(撮影・松本航)
今の思いについて語った後、拠点の関大たかつきアイスアリーナで笑顔を見せる細田采花(撮影・松本航)