伊沢利光(46=フリー)は12年11月の三井住友VISA太平洋マスターズを最後に、こつぜんとツアー舞台から姿を消した。

 01、03年と2度の賞金王に輝き、初優勝の95年日本オープンから07年日本プロ選手権までツアー通算16勝。02年W杯(国別対抗戦)では、丸山茂樹(45)と組んで優勝を果たした。何よりも01年マスターズが印象深い。ウッズ、デュバル、ミケルソンに次ぐ4位。高弾道の美しいフェード球を操り、A・パーマーに「キング・オブ・スイング」と言わしめた。当時、「日本男子で初めてメジャーを制するのはこの男かもしれない」と思ったのは、私だけではないだろう。

 だから、仮に賞金シードを失っても、主催者推薦など試合に出る機会はあったはずだ。それが1試合も出ていない。そもそも12年も残り2試合の出場権はあったのに、出なかった。

 「あの人は今…」というには早すぎるが、近況をお伝えする。拠点としている福岡で「伊沢ゴルフアカデミー」を開き、レッスンをしている。来年1月には東京校も開校、そのお披露目の席で久しぶりに伊沢に会うことができた。

 かつて筋骨隆々だった上半身は、一回りスマートになった。だが、柔和な笑顔は変わらず、弁舌は軽やかだ。“先生”としての出来栄えについて「本当かうそか分からないけど、受けはいいですよ」といたずらっぽく笑い、「上達はします、確実に」と自信を持って言い切った。

 なぜ、ツアーを退いたのか-。

 「自分の思い通りのゴルフができなくなった」。故障に悩まされる時期もあったが、「道具の進化に対応できなかった」のが最大の壁だった。パーシモンのスチールシャフトでゴルフを覚えた世代だ。新素材が次々と出てきて、ドライバーのヘッドは大型化した。「300(CC)まではよかったけど、460(CC)は対処できなかった」。飛距離を武器にした伊沢にとって、「ティーショットの精度」こそ生命線だった。

 数カ月前、丸山茂樹も「メタル(ヘッド)から始めた今の若い子はいいよね」と、この世代が必ずぶつかる壁について話していた。

 もちろん伊沢がその気になって復帰すれば、シード権獲得はできるだろう。本人もそう思っている。「でも、優勝できないのならね…」。勝つゴルフだけを求めてきた。スポーツ選手にはボロボロになるまでしつこく戦う美学もあるが、伊沢は潔さを選んだ。

 ツアー生活を「きついばっかりだった」と振り返る。常に自分を追い込んでいた。「『優勝してうれしい』はあっても『楽しい』はなかった」とも。今は「生徒さんと、楽しく上達できるよう、レッスンしてます」とうれしそうだ。その中で「自分のゴルフに対して、もっと緩くしていたら、もっと長くできたかも」と話す。ラウンドは月に1回程度、練習は5分間で飽きてしまい、クラブのグリップは2年間も替えていないとか。「こんなに気楽にやっていたら、いい結果が出ていたんじゃないか」と思うこともあるという。

 戦いの場への復帰については言葉を濁した。「間違って何かがあれば…」と言うと同時に、「引退ではなく休養?」という問いに「そう解釈してもらって構いません」。ゴルフに対する新たな取り組み方を見つけ、「自分の中では進み続けているつもり。まだ終わったとは思っていない」。その言葉を信じて、またあの美しいスイングを見られる日を、のんびりと待つことにしよう。【岡田美奈】