卓球の世界選手権団体戦が25日からドイツ・ドルトムントで開幕する。ロンドン五輪団体戦の前哨戦となる今大会に、女子日本代表の福原愛(23=ANA)は全日本女王として臨む。3歳9カ月で卓球を始め、全国に「泣き虫愛ちゃん」として知られてから20年。節目の年に迎える3度目の五輪と、29年ぶりの決勝進出を狙う世界団体戦を前に、成長した日本女子のエースが現在と過去、そして未来を語った。

 福原はもうじき“20歳”になる。3歳と9カ月の92年8月13日に、母千代さん(61)と始めた卓球の時間。3度目の出場となるロンドン五輪の今年、2人の卓球は1つの節目を迎える。五輪の閉会式が“19歳”最後の日。これまでの20年間を振り返ったとき、福原の声は自然と震えた。

 「20年間、卓球をやってきて、日本にもあまりいられません。帰ってきたときに母に会うと、すごく年を取ったなぁと思うことも多い。卓球をやってきて、あまり後悔したことはないんですけど、なかなか家族のそばにいることができないことが…。その分、もっと頑張らなきゃいけないって思います。結果を出すことが、そばにいることよりも恩返しだと思うので。20年間続けてきて、やっとここまで来られた。良い結果を出して、母を喜ばせたい」

 節目の今年、1つの壁をようやく破った。全日本選手権女子シングルス初優勝。13度目の挑戦で頂点に立った。大会後の祝勝会ではレモンティーで乾杯し、記念写真も撮った。でも、余韻に浸ったのはその1日だけ。女王としての誇りと責任感の方が強まっていた。

 「初めは、全日本を取っても取らなくても、海外選手にはなんら変わりがないと思っていたんです。でも“全日本チャンピオン”の私が簡単に負けるとたぶん『愛がこのレベルなら…』と、(平野)早矢香ちゃんや(石川)佳純ちゃんと当たったときに、相手に自信を持たれてしまうと思うんです。私が相手なら『チャンピオンがあれぐらいなら…』と思いますから。だから、絶対に簡単には負けられないなと思いました」

 もう23歳。泣き虫で負けず嫌いだった少女は、大人になった。成長した部分を尋ねたとき、返ってきた言葉は「気持ち」だった。

 「自分自身が強くなったわけじゃないです。昔から、周りの人に支えてもらってここまで来ることができたんですけど、年を重ねてから、より深く感じるんですよ。私がNTTだとすると、電線がいっぱい増えた感じです。人の気持ちや言葉を多く感じられるようになって、パワーをたくさんもらえる。その分、強くなっているんです。大人になったんですね(笑い)」

 卓球を始めたきっかけは、ほったらかしにされたから。記憶は今も鮮明に残っている。

 「私が3歳のとき、10歳上の兄が卓球を始めて、家族全員が付きっきり。3歳なのに誰も遊んでくれる人がいない。毎日1個のおもちゃで遊んでいて、何もすることがないので練習場に邪魔しに行くんです。3歳児なりに考えて、ソファの後ろにキーホルダーを落として『取りたい!』とか。でも、危ないからいつも首根っこをつかまえられて出される。どうやったらみんなと一緒にいられるんだろう。卓球をやれば一緒に遊んでくれるんじゃないか。その気持ちで始めました」

 「卓球をやりたい」と言ってから、実際に始めたのは半年後。千代さんは、本当の気持ちか、確かめるために待ったという。本心だと分かると、指導は厳しかった。1本でもミスしたら1からやり直す「1000本ラリー」は有名な話だ。

 「メニューの最初に入っていて、1000本ラリーが終わらないと次の練習に進めない=終わらない。だから、すごく嫌でした。交渉していましたね。『正しいフォームでやるから900本にして!』『速いフォームでやるから、ちょっとおまけして!』って。でも1回もおまけしてくれませんでした(笑い)」

 20年間の卓球生活で1度だけ練習を途中でやめたことがある。思うようにできなくて泣いた。駄々をこねて、卓球をしなかった。すると千代さんも怒ってやめた。慌てて「卓球を続けたいので、また教えてください」と反省文を書いて謝った。

 「あれ以来、自分から練習をやらないと言ったことは、なかったと思います。書いているとき、母に『これは反省文だけど、契約書だよ』って言われて、幼いながらにその意味の重さを知ったんだと思います」

 卓球の天才少女として注目されるようになり、平日は学校、週末は全国のイベントに赴く日々が続いた。夜中の3時に帰り、朝には学校に行く日もあった。車の中で寝たこともある。

 「でも、あのときの経験は、今でもすごく生きています。たとえば300人と3本勝負。負けたら『愛ちゃんに勝った』って言われるんですよ。それがすごい嫌でした。でも、300人と試合をしなきゃいけない。1分間で相手がコロコロかわって、その中で集中力をずっと続ける。そんな対応能力は、そのときに身に付いたと思います。疲れたりするけど、私は楽しかった記憶しかないんです」

 幼い少女が経験した目まぐるしい日々。そんな時間を積み重ねて迎える3度目の五輪は、過去2大会とは違うと言い切る。

 「アテネは本当に夢の夢の夢の夢ぐらいだったので、五輪に出られることだけで頭がいっぱい。北京では『メダル!』と言っていたんですけど、自分でも半信半疑だったんです。みんな強いし、メダルは3つしかない。10個ぐらいあればいいのになぁって。その気持ちが、団体戦のメダル決定戦で出てしまった。気持ちの持ち方の重要さを知りました。今回は本当に『絶対にメダルを取る』という強い気持ちです」

 卓球で日本が1度も手にできていない五輪のメダル。今回の世界選手権団体戦は試合方式こそ違うが「位置」を把握する前哨戦となる。10年モスクワ大会決勝でシンガポールが中国を破った。日本が目指すのは、5大会連続銅からの前進。

 「五輪へ、今回の団体戦で自信をつけることもできるし、ほかのチームに自信を与えてしまうこともある。前回のモスクワでは何があるか分からないと知ったし、昨年のワールドチームカップでは初めて決勝まで行って中国と戦いました。その雰囲気やドキドキ、ワクワク感をもう1度味わいたい。決勝まで進めるように頑張りたいです」

 11月1日の1並びの日に生まれた辰(たつ)年の年女。自身10度目の世界選手権は、五輪メダル獲得への登竜門になる。【取材・構成

 今村健人】

 ◆福原愛(ふくはら・あい)1988年(昭63)11月1日、仙台市生まれ。3歳9カ月から卓球の英才教育を受け、5歳10カ月で全日本選手権バンビ(小2以下)で史上最年少V。小4でプロ宣言。世界選手権は03年に初出場し単8強。団体戦は4度の銅メダル、11年は混合複で日本勢34年ぶりの銅メダル。アテネ五輪単16強、北京五輪単16強、団体4位。今年の全日本選手権で初優勝。右シェーク前陣速攻型。家族は両親と兄。155センチ、48キロ。血液型B。世界ランク11位。

 ◆世界選手権団体戦

 1926年の第1回ロンドン大会から個人戦とともに開催。99年以降(01年大会を除き)偶数年に行われ、奇数年が個人戦に。シングルスのみで出場3選手で5試合中3試合を制したチームの勝ち。4組に分かれ1次リーグ各組1位は8強進出。2、3位は16強から出場。