<競泳:日本選手権>◇2日目◇3日◇東京辰巳国際水泳場

 男子100メートル平泳ぎで北島康介(29=日本コカ・コーラ)が、日本新記録で日本競泳で初めて4大会連続の五輪出場を決めた。北京五輪の金メダルタイム58秒91を0・01秒上回り、日本選手権10度目の優勝。04年アテネ五輪女子バタフライの大西順子の29歳308日を抜き、29歳310日の日本競泳最年長五輪出場のオマケも付いた。ロンドン五輪では昨年の世界選手権で完敗したアレクサンダー・ダーレオーエン(ノルウェー)への雪辱と、世界の男子では前人未到の3大会連続の金メダルを目指す。大きな手応えをつかみ、進化し続ける北島がロンドンに向かう。

 あの4年前の北京五輪の光景が、辰巳に舞い降りた。ゴールした北島が電光掲示板に目をやる。58秒90のタイムが表示される。右手でガッツポーズをつくり、水面を大きくたたいた。隣の立石と握手すると、再びガッツポーズを繰り返す。プールから上がる際には人さし指を上に掲げて「1番ポーズ」。緊張感から解き放たれた男は、興奮を抑えられなかった。日本競泳界初となる4大会連続の五輪切符は、日本記録とともに誕生。北島節もさえた。

 北島

 格別な気持ちでいっぱいです。4年前とは違うし、8年前とも違う。若手から刺激を受け、もっと頑張らないといけないという気持ちだった。4年に1回しか自分の記録を更新してこなかったですからね~。ここは自分でもさすが。きっとオリンピックがそうさせてくれたんだと思う。

 完璧なレースだった。スタート反応は最速の0・65秒。浮き上がった時点で、ライバルたちの前に出た。戦略通り、前半の50メートルを突っ込む。折り返しまでのストローク数は17回。北京五輪の決勝より1回多い。ただ50メートルのタイムは27秒69と、4年前のレースを0・34秒上回った。だが落ちない。日本記録どころか、世界ペースで突き進んだ。60、70、80メートル…。惜しくも最後の10メートルで力尽きた。それでも五輪の舞台で出した当時の世界記録を100分の1秒更新。当時が高速水着だったことを考えれば、まさに異次元の強さだ。

 恩師で日本代表の平井伯昌ヘッドコーチは「すごく攻撃的な泳ぎだった。気持ちが出ていた。『最後に詰まった』と本人は言ったが、そんなささいなことはどうでもいい。自分の限界を超えた」。さらに「自分を知って、泳ぎを知る。達人みたいになってきた」。自身の手を離れても、自ら考えて泳ぎをつくりあげる姿に、最大限の賛辞を贈った。

 昨年の世界選手権が大きな試練となった。100メートル決勝で宿敵ダーレオーエンに完敗。前半の50メートルを27秒20の超ハイペースで突っ込んだライバルに食らいつけず、4位と惨敗した。ショックのあまり「歯が立たない。スキがないし、僕をまったく見ていない」。その夜、北島はホテルの自室で悔し涙を流した。当時を知る日本代表の上野広治監督は「人前で涙を見せる男じゃない」。その屈辱感が背中を押した。

 昨秋から米国に戻り、徹底して自らを鍛え上げた。ストロークのつなぎを意識し、水中でのボディーポジションにこだわった。北京五輪よりも前半のストローク数が1回増えたが、その分、息継ぎの時間を短くした。泳ぎ込みで持久力をつけ、ダーレオーエンに対抗すべく、前半から27秒台のハイペースを心掛けた。そんな地道なトレーニングが五輪イヤーに花開いた。

 これでロンドン五輪の表彰台、それもてっぺんに近づいた。それでも「58秒台で自信はついたけど、まだ戦えない。世界記録に迫るために、どう短縮していくのか。今回の泳ぎを見て考えたい」。そして五輪の魅力とは?

 とたずねられると「俺です」とにやり。北島が、世界に自らを猛アピールした。【佐藤隆志】

 ◆北島康介(きたじま・こうすけ)1982年(昭57)9月22日、東京都荒川区生まれ。5歳で水泳を始め、本郷高3年の00年にシドニー五輪に出場し、100メートル平泳ぎで4位に入賞。02年の釜山アジア大会200メートルで自身初の世界新記録。04年アテネ、08年北京と五輪2大会連続2冠の偉業を達成した。200メートルの自己ベスト(長水路)は2分7秒51で、08年までの世界記録。178センチ、72キロ。日本コカ・コーラ所属。