日刊スポーツ評論家による今回の「野球塾」は、本紙客員評論家で、85年阪神日本一監督の吉田義男氏(85)の登場です。球界のレジェンドは、新天皇・皇后両陛下をはじめ、皇室との縁も深い。平成から令和への代替わりを記念し、懐かしい秘話を明かしてくれました。【取材・構成=寺尾博和編集委員】

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時代が平成から令和に変わった5月1日、わたしは甲子園球場のネット裏にいました。新天皇・皇后両陛下のお姿に感慨ひとしおで、心からご祝福申し上げたい。

わたしは現役を引退した翌年の1970年(昭45)、このたび新天皇陛下になられた浩宮さまが、ロッテ-巨人の日本シリーズ(東京スタジアム)をご観戦された際に解説を仰せつかりました。ご学友とご一緒でした。

前もってグラブを持参するように言われました。打球がバックネットを越えてくるかもしれないので、そのときは捕球するようにとのことでした。

非常に野球がお好きなご様子で、「ファウルボールよ、飛んでこい」とはしゃいでおられました。わたしはショートを守っている時よりも緊張しました。

翌71年の巨人-阪急(後楽園)の日本シリーズでも説明役を拝命しました。当時の入江相政侍従長に冗談をおっしゃると、入江さんも優しく見守るように接していらっしゃいました。

陛下が小学5、6年生の頃で、天真らんまん、ご活発で、リーダーシップを取っていたのが印象的でした。新天皇になられてご成長をつくづく感じますね。

また、わたしがフランスナショナルチーム監督だった89年、欧州クラブ選手権でロンドンに遠征したときのこと。テムズ川ほとりのホテルからフランス人たちと市内のピカデリーを散策していると、日本人の青年男女で、外務省の在外研究生に出会いました。

そのメンバーにいらしたのが、後に新天皇陛下とご婚約される小和田雅子さんです。だれかに「吉田さんですね?」と声を掛けられ、パリに野球の指導に来たのを興味深く感じられたのか、盛り上がりました。

まだお后(きさき)候補として知られておらず、親切で純真な方と思いました。後日、手紙と写真がパリの自宅に届きました。「数々の花が一面に咲いて、大変美しい季節です…」と、英オックスフォード大で勉強している近況がつづってありました。このたびは、新皇后になられた雅子さまのお美しい姿にも感激しました。

わたしは1959年(昭34)、昭和天皇・香淳皇后がご臨席し、プロ野球初となった巨人-阪神の天覧試合(後楽園)に1番遊撃で出場しました。現在の上皇陛下が訪欧された94年には、在仏日本大使館で欧州野球についてお話をする機会にも恵まれました。

昭和から、平成、令和と移り変わった時代に、お懐かしいご縁です。国際感覚を磨かれたおふたりは、新時代を切り開いていかれるはずです。野球が国民的スポーツであるために、日本が平和の道を歩み続けることを強く望みます。