首の皮一枚でつながっている阪神が“命綱”といえる継投で薄氷の勝利を収めた。

吉田 これでヤクルトとの戦いは大一番になる。紙一重の勝ちだが不思議と運も絡んだ。4回に一塁ベースカバーに入った伊藤将が、マルテからの送球を素手で捕球した姿に必死さがにじんだ。8回板山の好捕はグラブが地面について難しい判断だが、審判のジャッジはアウトだった。最終回に山本が三ゴロを処理したのも何げないプレーにみえるがポジショニングの成果といえる。1つも負けられないという意味では、現役だった1964年の逆転優勝を思い出した。

今シーズンと同じ東京五輪イヤーだった1964年(昭39)は、阪神が終盤に7試合を残し、首位大洋(現DeNA)に3・5ゲーム差をつけられていた。6試合を残していた大洋は3勝すれば優勝。絶体絶命の阪神は直接対決を4戦全勝し、残り3試合にも連勝して奇跡的な優勝を遂げた。

吉田 今思い返しても勝負は時の運に左右されるものだ。当時のちょうど今頃、関西が台風に襲われ、うちの藤本監督が強引にゲームを中止にすると、敵の大洋三原監督が「できるじゃないか!」と激怒しだして、名監督の2人が火花を散らしたのを覚えている。村山、石川緑もいたが、大洋とのつばぜり合いにバッキー(29勝9敗、防御率1・89)が先発、リリーフにフル回転したのが勝負手になった。先発、中継ぎで結果をだす伊藤将にも短期決戦の必勝法がだぶった。

もはや阪神は1つも負けられない状況に追い込まれている。

吉田 ヤクルトとの戦いはいかに守り抜くか。投手力を中心にした守りが明暗を分けるとみている。勝負は下駄を履くまでわからない。とにかく無我夢中にプレーすることだ。【取材・構成=寺尾博和編集委員】