もう、慎二さんのユニホームを見ても泣かない-。西武大石達也投手(29)は「慎二さんがいたら『俺のことで、めそめそするな』と絶対言われる。大丈夫です」と静かに口を開いた。

 1軍投手コーチを務めていた森慎二さんが多臓器不全により42歳の若さで急死して、もうすぐ1年がたつ。命日の6月28日は本拠地メットライフドームでオリックス戦。当日は森さんの背番号89のユニホームが、ベンチと森さんの持ち場だったブルペンに掲げられる。昨季もCSが終わるまでベンチに掲げられ、選手は森さんとともに戦った。だが、恩人のユニホームを大石は直視できなかった。「投げる日は極力、見ないようにしてました」。

 現実を認めたくなかったのかも知れない。出会いはプロ4年目、14年の秋だった。その年は右肩を痛め1軍登板なし。早大で名をはせたドラフト1位右腕も、戦力外を覚悟した。首がつながった直後、森さんが2軍投手兼育成コーチに就任する。毎日のようにトレーニングに付き合ってくれた。「引き出しが多かった。これが合わなかったら、あれをやろうと話し合って」。二人三脚で体の使い方から見直した。翌15年は登板3試合も、手応えが残った。森さんが1軍コーチになった16年、36試合と復活。「出会いがなければずるずるいって、クビになっていた」と思っている。

 昨年6月30日の追悼試合は3番手で登板。どうにか涙をこらえ、1回無失点に抑えた。降板後、ベンチ裏で泣いた。そんな日が結構な期間続いたという。今は「しんみりするのも違う」と思えるようになった。「投球は楽をするな。下を使え」と「フォークは思い切りたたきつけろ」の教えを金言にしている。

 「本当に優しい人でした。コーチだけど何でも聞ける先輩のよう。もう1年。ちゃんと投げられているところを見せられたら」

 出番が来れば、89番を直視してからマウンドに向かうつもりだ。【西武担当 古川真弥】