「不完全燃焼」が原点だった。

 夏の甲子園の出場校を決める各都道府県大会が真っ盛りだった20日、日刊スポーツは紙面でプロ野球選手の声を集めた。球児たちへのメッセージとして、あえて甲子園に出場できなかった選手ばかり。当たり前だが、甲子園出場を逃した球児の方が多いからだ。西武は長崎・大村工の水口大地内野手(29)。

 「最後の夏が終われば、青春の思い出作りで遊んでもいいと思います。ただ就職にしろ進学にしろ、目標へ向かって欲しい。僕は3年の夏、1回戦負けの時点で野球を続けようと決めました。親戚は反対が多かった。体が小さい(身長163センチ)し『就職しろ』と。でも賛成してくれた両親の支えで独立リーグからプロまで来られました」

 せっかくなので、補足を含め、書き足したい。

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 07年の3年夏。大村工は1回戦で瓊浦に2-4で惜敗した。春夏通じ、1度も甲子園出場はない大村工だが、「結構、強くて、もしかしたら甲子園に行けるんじゃないか、と言われてました」と水口。まさかの初戦敗退。「悔いが残りました。不完全燃焼でした。負けた瞬間、野球を続けようと思いました」と決意した。部活引退後も、トレーニングを続けた。時に同級生に手伝ってもらいながら、ランニング、ティー打撃、キャッチボール、ノック等々。高3の夏休みといえば、遊びたい時期。それまで遊べなかった友だちと出かけることもあったが、「自信がなかったので」と、野球を第一に過ごした。

 最初は、大学進学を考えたという。だが「お金がかかる。たとえ特待生になれても、多少なりとも両親に負担をかけてしまう」と断念。ちょうど、翌年から地元の長崎に独立リーグのチームができることになった。そこのトライアウトに目標を変更。見事、合格を手にした。

 周囲の反対を押し切れたのは「好きにしたらいい」と言ってくれた両親の後押しがあったからだ。だから、自分でリミットを決めた。「プロ(NPB)を目指すのは、大学を卒業するのと同じ4年間まで」。正直なところ、最初はNPBに行けるとは思っていなかった。だが、長崎でも、その後に移籍した香川でも、二遊間を組んだ仲間がドラフトにかかった。「もしかしたら、自分も行けるんじゃないか」と思いを募らせていった。

 結局、当初の計画より1年多くかかったが、独立リーグ5年目の12年に育成で西武入り。15年7月に支配下登録を勝ち取り、今は1軍でプレーしている。

 悔やんでも悔やみきれなかった高3の夏を振り返り、言った。

 「野球以外は考えられなかった。プロ野球は夢。簡単には諦めたくなかった。周りの反対があって、両親はきつかったと思います。それでも支えてくれた。これからも頑張っていくことが、2人への恩返しになると思います」

 同じく、進路に悩む球児たちへは、こう言葉を贈った。

 「これから進む道で、どうなるかは分かりません。ただ、どういう結果になろうと、取り組み方で周りの人は分かってくれるはずです」

 決して平たんではない野球人生を送ってきたからこそ、説得力があった。【西武担当 古川真弥】