引き際に美学はあるのか-。

巨人杉内俊哉、脇谷亮太が今季限りでの現役引退を表明した。

9日にはBCリーグ栃木の村田修一も決断した。他球団でも「引退」の話題が相次いだ。村田、杉内、脇谷の“節目”に取材者として立ち会った。当然ながら、三者三様の引き際だったように思う。

幼少期に野球と出会い、向き合い続けてきた。野球少年のあこがれの存在としてプレーするというのは私のように一般人には想像すらできない。努力、挫折、重圧、試練の数は挙げればきりがない。ただ、3選手とも「感謝」というワードを繰り返した。

小学1年生のとき、ピカピカのランドセルを背負って初登校した日を思い出した。教壇に立つ担任の先生から「感謝の気持ちを持って生活をしましょう」と言われた。卒業式でも校長先生から「感謝の-」と送られた。中学、高校、大学、節目節目で同じフレーズは繰り返された。物心がついたとき、親からも「感謝の-」を伝えられた。

FA移籍後に背番号18を背負った杉内は「今思うと、やっぱり重かったのかなと。でもこの7年間、あの18番のユニホームを着られたのはすごく幸せだった」と言った。脇谷は「おなかいっぱい野球をやらせてもらった」。村田は長男の閏哉(じゅんや)くんを見つめ「未熟児で生まれた君が頑張っている姿を見て、いつも勇気をもらいました。今日まで野球を頑張ってこれたのも閏哉が、いつも近くで頑張ってくれたからです」と言った。

引き際の美学は、感謝の気持ちから生まれる。3選手の引き際には「お・も・て・な・し」よりも親近感がある「お・も・い・や・り」の心があった。【巨人担当 為田聡史】