ドラフト会議が終わった。われらが日本ハムは、外れ1位で金足農(秋田)吉田を単独指名。そのほかにも、甲子園ヒーローズを続々と指名し、入団が今から楽しみ。年明けの新人合同自主トレでは、2軍施設のある千葉・鎌ケ谷に、また多くのファンが訪れるに違いない。

指名順位に一喜一憂した選手もいるかもしれない。でも、そんなことは関係ない。ドラフト会議当日の午前中、札幌市の室内練習場で秋季練習に励んでいた日本ハム中島卓也内野手(27)は、08年ドラフト5位。福岡工(福岡)初のプロ野球選手となった。プロを意識したのは高3の途中と、やや遅かった。高校最後の夏の大会が終わった直後は、大学へ進学し野球を続けるつもりでいた。会議に先駆けて届く球団からの調査書は、わずか1通で「ドラフト当日は、指名されるかどうか、不安でしかなかった」と言う。

ぐるり見渡せば、周りは甲子園出場経験者ばかり。それまで、全国大会や選抜チームに縁がなかったから、アマチュアのビックネームがそろう世界は、ことさら大きく見えた。でも、せっかくつかんだチャンスだ。気後れし、自分の可能性にふたをすることは、決してなかった。

「重要だったのは、入団したチームで“誰と出会うか”です。僕にとっては、三木コーチでした」。08年に現役を退いたばかりの新米コーチに「お前らは俺のモルモットだから」と宣言された中島ら若手選手は、技術だけでなく、礼儀や一般常識など私生活でも徹底的にプロで生きていく術をたたき込まれた。年齢も近い兄貴分。厳しい特守も「きつかったけど、楽しくできた」。3年目で1軍デビューし、7年目の15年には盗塁王のタイトルを獲得。第1回WBSC世界野球プレミア12では、日の丸も背負った。

「入ってしまえば横一線。プレッシャーは、ドラフト1位の方がかかるはず。下位指名だと、逆に見返してやろうってなりますもんね。努力やチャンスをつかむ運も必要だけど、僕はやっぱり、周りのおかげだと思う」。プロの入り口へ立った後輩たちへ。日本ハム選手会長からのメッセージだ。【日本ハム担当 中島宙恵】