薫風は悲しい知らせを運んできた。南海、ダイエーで長く選手寮の「寮長」を務めた田中一朗さんが19日、胃がんのため87歳で亡くなった。

大阪から球団移転後は福岡・西戸崎に室内練習場を備えた若鷹寮が完成。田中さんが初代寮長となり若田部、小久保、村松、松中、城島、井口、柴原ら「初V戦士」たちも巣立っていった。対岸に福岡ドーム(現ペイペイドーム)を臨むロケーション。憧れの舞台を目指す寮生を激励しつつ、黙々と地元住民との親睦を図り、寮の理解を求めていた。ホークスOBで外野手として405試合に出場した経験があるが、野球の話はほとんどせず「裏方」に徹した。

「とにかくゴルフが好きな人やった。人がいい。誰も田中さんの悪口なんか言う人はおらんかったからなあ」。ダイエーで球団代表も務めた上田卓三氏(71)は、しんみりとした口調で故人をしのんだ。寮長室の窓ガラスを開けると、ツツジの植え込みの中にこっそりとゴルフ練習用のマットとウエッジが隠されていた。「本当はあかんのですが、ちょっとね」。いたずらを見つけられた子どものように頭をかく田中さんの姿が懐かしい。

今は仕事場だった西戸崎合宿所はない。16年から福岡・筑後市にホークスのファーム施設が誕生。建物は取り壊され文字通り「兵どもが夢の跡」となった。

退任が決まり福岡を離れるとき、球団職員ら数人でささやかなお別れ会が中洲の居酒屋で行われた。ホークス元監督の杉浦忠氏(故人)も駆けつけ、にぎやかなうたげとなった。「ありがとうございました」。赤い顔で何度も田中さんはお礼を言っていた。常勝チームとなったホークスの陰の功労者だった。【ソフトバンク担当 佐竹英治】