博多の町も冷え込んだ13日、ペイペイドームにほど近いお寺に眠る「鉄腕」のお墓には白菊と白いカーネション、かすみ草の花々が供えられていた。16年前のこの日、西鉄ライオンズの大エースだった稲尾和久氏がこの世を去った。ご家族が命日に合わせお参りに来たのだろう。墓前にはかすかに線香の匂いも漂っていた。

「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれ西鉄黄金期の大黒柱として活躍。通算276勝も登板過多がたたってか、通算14年の現役生活だった。

「でもな、オレは酷使されたとは思っていない。登板翌日にベンチに座っていると、試合展開がおかしくなったらチラチラと(監督の)三原さんが俺を見るんだよ。だからそんなときは黙ってブルペンに行ったもんだ」。焼酎のグラスを片手に細い目をさらに細めて、ニヤリと笑う鉄腕の顔が懐かしい。

宿敵巨人を日本シリーズで撃破。56年~58年の西鉄ライオンズの3連覇は、もう遠い過去の栄光ではあるが、野武士と呼ばれた彼らの足跡は色あせることはない。

今年5月11日には「怪童」と呼ばれた西鉄の大打者・中西太氏も天国へ旅立った。「稲尾くんは、神様、仏様やったが、ワシは(怪童と)お化けみたいな名前つけられて。ほんと困ったもんや」と、むくれたように見せかけて中西さんは豪快に笑い飛ばしていた。

文化の日だった3日、故郷・高松市で行われた「お別れの会」にはソフトバンク王貞治球団会長もキャンプ地・宮崎から供花を送って故人をしのんだ。「中西さんとは正力松太郎賞の選考委員会でずっと一緒にやってね。そこでいろんな話しをしたりしてね。みんな亡くなっちゃうね」。ホークスの秋季キャンプで汗を流す若手野手を見守りながら、王会長もしみじみと話していた。

福岡在住だった稲尾さんは、かつてのライバルでもあったホークスのご意見番的な「応援団」でもあったし、中西さんは春季キャンプで2度、ソフトバンクの臨時コーチを務めて打撃強化に刺激を与えてくれた。ホークスにとっても「恩人」といえる2人であった。

3年連続して優勝を逃したホークスは小久保新監督を迎えて再出発を図っている。V奪回もさることながら、ファンの記憶に深く残る選手を育てチームを作り上げてもらいたい。

中西さんが放った平和台のバックスクリーンを超えた180メートル級の大アーチ、シーズン42勝を挙げた鉄腕の快投…。

稲尾さんの墓前に立つと、なぜかいつも「夢物語」を夢想してしまう。【佐竹英治】

67年、中西太監督(左)からボールを渡される西鉄時代の稲尾和久さん
67年、中西太監督(左)からボールを渡される西鉄時代の稲尾和久さん