令和になって初めての夏。気になる野球人の今を伝えます。

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平成のプロ野球界を駆け抜けた巨人杉内俊哉ファーム投手コーチ(38)は今、父のような気持ちでマウンドを見つめている。

「現役の時は自分が抑えるか打たれるだけだったけど、コーチになると選手が自分の子どものような感じがする。毎回僕も緊張しているし『大丈夫かなー』って、不安だよね」

担当は新人、育成選手が中心を占める3軍。夢をつかもうと一生懸命な選手たちの背中を押している。

17年間の現役生活で積み重ねた白星は142個。身長175センチと大柄ではない体で強打者をなぎ倒した。ソフトバンク、巨人で日本一を経験。WBCで2度の世界一も味わった。修羅場をくぐり抜けた左腕を支えたのは人一倍の負けん気。「かなり打たれたもんね。打たれて覚えたものもいっぱいあったよ」。悔しさのあまりベンチを殴り、両手を折ったこともある。

15年には右股関節の形成手術、17年には左肩痛を発症。現役最後の3年間は、ジャイアンツ球場が主な仕事場だった。「3軍のレベル、ケガした人の気持ちが分かったことは大きい。ずっと1軍だったら分からないことだよね」とかけがえのない時を過ごした。

だからこそ、1人1人に合った指導を心がける。「『レベルが高すぎて分かりません』というのだけは嫌。2軍に行ったらコース、1軍に行ったら低めが大事だと絶対に覚えると思う。3軍のうちは『真ん中に投げて空振りをとろう』と言っている。まずはバッターと勝負しないと」。結果が出なかったからといって、すぐにはフォームをいじらない。1年目は基礎体力の強化を中心に、段階を見極めて言葉をかける。「育成選手にもプライドはある。試合の時は、いかにモチベーションを上げた状態で送り出せるか」。プレーヤーを尊重し、伸び始めた芽に適量の水を与えていく。

花が開くために必要な最後のスパイスは、自発的な「気づき」だと考える。時代は変わり、高校生でも最速150キロ超えの投手が増えた。「レベルは上がっている。ただやっぱり最後はキレとコントロール。いつ気づけるか。160キロを投げても打たれるピッチャーは打たれる」。自身も社会人時代は最速150キロを目指し、ウエートトレーニングを繰り返した。プロ4年目に自ら気づき、力感のないフォームを完成させた。経験が説得力を生む。

育てたい選手像が明確にある。「僕はパ・リーグ上がり。『ホームランを打たれてもいいから強い球を投げて、ポップフライや空振りを取れ』と教わってきた。みんなにはスケールの大きい選手になってほしいね」。時に厳しく、時に温かく。新時代の星となり得る原石をじっくりと磨いていく。【桑原幹久】