ざっと数えて21パターン(東大野球部100年史編纂=へんさん=委員会調べ)。創部100年を迎える東大野球部のユニホームは、変わり続けてきた。その時々の「変化」には、強い思いが込められている。

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連敗記録を70に伸ばして1990年(平2)秋のリーグ戦が終わった。

ある夜、来春に新4年生となる部員らが野球部寮「一誠寮」の和室に集まった。

「俺たちは、入学して1度も勝っていない」「俺たちの代で、連敗を止めよう」。最下位が定位置の東大野球部だが、入学以来、1度も勝てずに卒業した部員はいない。負け続ければ、連敗記録更新だけでなく、未勝利のまま終える初めての代となる。

だが、新4年生に悲愴(ひそう)感はなかった。練習試合では勝った。リーグ戦でも惜しい試合がいくつもある。81年春、6勝を挙げて「赤門旋風」を巻き起こした平野裕一監督が再登板し、チームの雰囲気も変わった。連敗ストップは時間の問題だ。でも、あとひと味足りない。

「ユニホームを変えよう」。新4年生の1人、是永聡さん(92年卒)が言い出した。連敗脱出への願掛けでも心機一転でもない。まずは「強い東大」、否、「強そうな東大」を演出したい。同期の藤本浩一さんも加わって、新ユニホームプロジェクトが動きだした。

白いユニホームが「東大=弱い」というイメージを作ってるんじゃないか。プロ野球・西武も東大と同じ白にブルーだぞ。清原(和博)には似合っても、東大生とは体格が違う。重厚な色合いがいいな。でも伝統のライトブルーは守っていこう-。

議論の結果、創部以来、初めてとなるグレーを採用(54~59年は白と併用)。胸の「TOKYO」は、巨人や早大を連想させる花文字からゴシックに。キャップも白からブルーに、と大胆に変えた。シンプルながら正統派。米大リーグ、ロサンゼルス・ドジャース仕様だ。監督にもOBにも相談しなかった。だが、誰にも何も言われなかった。他校だったら、勝手にユニホームを変えるなど、許されないだろう。大人になった今なら、別の対応をしたかもしれない。でも、伝統を守るため、変化を恐れないのが東大という大学の文化であり、その文化は野球部にも生きている。是永さんも藤本さんも、そう信じている。

91年春のリーグ戦が開幕した。新ユニホームの発案者、是永さんは「赤門旋風を巻き起こしてやる」とやる気満々。一誠寮で応援歌「ただ一つ」をみんなで歌い、新しいユニホームに着替えてバスに乗り込んだ。当時の日刊スポーツは、ユニホームをひと目見た明大の別府隆彦監督が「お祭りがあるぞ」と「予言」した、と伝えている。

91年4月、立大に勝利しリーグ戦200勝を達成、ゲームセットの瞬間ガッツポーズで喜ぶ東大選手ら
91年4月、立大に勝利しリーグ戦200勝を達成、ゲームセットの瞬間ガッツポーズで喜ぶ東大選手ら

初戦は前年秋の覇者、立大。0-0の7回に1点を先行されたが、8回に是永さんらの安打で4点を奪って逆転。4-1で87年秋以来の勝利を挙げた。この勝利がチーム通算200勝。部員たちの初勝利にして連敗ストップという三重にメモリアルな1勝となった。沸き返る東大側スタンド。「ただ一つ」が、新ユニホームの部員たちを祝うように、雨の神宮にこだまする。

♪ただ一つ 旗かげ高し いまかがやける 深空の光(つづく)【秋山惣一郎】