気を付けないと、触れただけで崩れてしまいそうだ。今年7月、東大野球部「一誠寮」の食堂で、柳田海主務(4年)がスコアブックを見せてくれた。時代物は一目瞭然。くすんだ赤茶色の表紙に「自大正十四年五月 至大正十五年六月 帝大野球部」と墨で記されていた。「リーグ戦1年目のスコアブックです。東さんの名前があります。ここから6大学野球の中での東大の歴史が始まったと思うと、感慨深いです」。「東さん」とは、100周年を迎えた同部草創期の名投手にして唯一のノーヒッター、東武雄氏のことだ。

スコアブックが“発見”されたのは2年前。寮の3階にある大部屋で見つかった。貴重な歴史的資料も包み込む一誠寮だが、現在は無人。8月に大規模改修工事が始まったからだ。来年3月に生まれ変わる。

東京・文京区の東大野球部の合宿所「一誠寮」
東京・文京区の東大野球部の合宿所「一誠寮」

初代は1937年(昭12)、木造2階建てで完成。幸い戦火を免れ、終戦まで野球用具が保管された。戦後の野球部復活の拠点となった。65年(昭40)に鉄筋4階建てに建て替えられ半世紀あまり。ベージュの外壁やプロパンガスに昭和のにおいを残してきた。玄関からすぐ右、食堂の目立つ場所に立派な額がかかっていた。

東大野球部の合宿所「一誠寮」に伝わる書
東大野球部の合宿所「一誠寮」に伝わる書

「一誠寮」

寮の命名者と言われ、初代野球部長も務めた長与又郎総長による揮毫(きごう)。何かおかしい。よく見ると「誠」には「ノ」の一画が欠けている。「優勝したら書き足そう」と長与総長が言った、と伝説的に語り継がれる。新入部員がはじめに聞かされる、東大野球部の通過儀礼。寮長の宮本直輝投手(4年)は「在学中に『ノ』を加えたい。1年の時に抱いた思いは変わりません」。今秋がラストチャンスとなる。

東大野球部の合宿所「一誠寮」に伝わる書。「誠」には「ノ」の一画が欠けている
東大野球部の合宿所「一誠寮」に伝わる書。「誠」には「ノ」の一画が欠けている

定員25人。主務や学生コーチをのぞけば、主力と認められた者だけ入寮できる。寮生はステータスだ。ただ、2人部屋で6畳。1人部屋は3畳しかない。風呂トイレ共同。脱衣所は水が漏れ、積年の汚れで真っ黒け。3食完備とはいえ、朝6時半起床、点呼と掃除から始まる集団生活。快適さを求める今の若者が、好んで住む環境とは言えまい。

それでも、宮本寮長は「落ち込んだ時も、うれしい時も、一緒に戦う仲間がいる。僕の大学生活そのもの。汗も涙も染みこんでいます」と、改修で早まった退寮を惜しむ。リーグ戦開幕の朝、全員で応援歌「ただひとつ」を歌い出陣。試合後は自然と食堂に集まり反省会。リーグ戦が終われば部員みんなで打ち上げ。苦楽の全てが詰まっている。

新しい一誠寮は定員が35人に増え、ずっと快適になる。ただ、器は変わっても役割は変わらない。宮本寮長が「先輩たちが残した歴史とともに続いてきた。新しい寮の歴史をつくって欲しい」と後輩に託せば、柳田主務は「実力を認められ、入りたいと思える存在であって欲しい」と願った。「誠」の字が完成する日を、一誠寮も待ち望んでいることだろう。(この項おわり)【古川真弥】