恒例「言葉の力」を全2回で送ります。迫力、気力、魅力、死力、影響力、神通力…喜怒哀楽を担当記者がピックアップすると、令和元年の野球が浮かび上がってきます。第2回はグラウンド外の「人情編」。
■パ・リーグ
西武秋山「FAがあったにしても、僕としては侍に呼んでくれる以上、準備をした。全力で取り組んだ。けがはその結果。行ったことに後悔なんてまったくない」(メジャー挑戦を表明しながら、プレミア12大会直前に骨折を負っても、一片の悔いなし=栗田成芳)
楽天ブラッシュ「札幌で一番うまいすし屋さんに行ったんだ。何でもおいしかった。コハダとイカとかね」(5月20日にすしを食べてリフレッシュ。22日・日本ハム戦で先制13号2ラン。コハダ好きの外国人選手は初めてです=千葉修宏)
日本ハム清宮「東京五輪もあるし、今年はラグビーW杯もある。世界が平和になればいいと思う」(4月30日、千葉・鎌ケ谷でのリハビリ後、令和という新しい時代への願いとして=山崎純一)
日本ハム清宮「甲子園もドラフトも、プロ野球で打ったのも。言い尽くせない。いろんな思い出がある」(4月30日、千葉・鎌ケ谷でのリハビリ後、平成の思い出について=山崎純一)
日本ハム谷口「小さい頃から体が大きいねと言われ続けたのも、丈夫な体で生んでくれたから」(5月12日の母の日に、1088日ぶりとなるアーチを放ち=山崎純一)
日本ハム谷口「親にはなにもしてあげられない。こうやって活躍することがいい報告だと思う」(5月12日の母の日に、1088日ぶりとなるアーチを放ち=山崎純一)
オリックス岸田「オリックスは強くなります。長い長いトンネルを抜けようとしています」(9月29日、引退セレモニーのあいさつ。現役時代に優勝できなかった無念を後輩に託した=古財稜明)
日本ハム大田「トレードで来ても、そうなれることを示せた。下で、くすぶってレギュラーを取れない選手がトレードで出て行って、いろんな複雑な心境はあると思うけど、いいサンプルになれればいい」(12月3日、契約更改後。年俸が1億円に到達。感慨深く、言葉を紡いだ=木下大輔)
日本ハム斎藤「きっと、皆さんが見ている景色も、あの頃の映像なんだろうなと思う。あの時に近づけるような、あの時のブームを起こせるような活躍をしていきたいし、努力をしていきたい」(12月2日、契約更改後。夏の甲子園の主役も来季で10年目。気概を示した=木下大輔)
日本ハム小笠原ヘッド兼打撃コーチ「北海道の1つの良さである大自然を眺めながら移動していく中で、沸々と、炎というか、この火が大きくなっていくものを心の中で、胸の中で、実感しながら来ました」(10月10日、コーチ就任会見で。14年ぶりの古巣復帰で託される再建への覚悟を感じた=木下大輔)
■セ・リーグ
DeNA東「卒論頑張れよと言いました。自分も大変だったので。早くやらんと知らんぞって(笑い)」(立命大の後輩でドラフト2位の坂本が卒論を終えてないと聞き、ちゃんと卒業するよう念押し=千葉修宏)
DeNAパットン「今日は優しく、水を1本、冷蔵庫から取り出したよ」(10月2日。8月3日の巨人戦で自身への怒りから冷蔵庫を殴打し、右手小指骨折からの復帰戦で=栗田尚樹)
DeNA伊藤裕「全ての方に失礼なプレーをしてしまいました」(3月7日、怠慢プレーで懲罰交代を食らい、直後にツイッターを更新=栗田尚樹)
DeNA井納「俺、仕事していないように見えたかな…」(9月下旬、川崎駅でハローワークのチラシを手渡されそうになり=栗田尚樹)
ヤクルト村上「1日1日生きている感謝の気持ちを、ものすごく感じます」(4月14日、熊本地震から2年の節目に決勝3号ソロ=保坂恭子)
ヤクルト・バレンティン「坂口が戻ってくるまで、みんなで頑張るから」(4月3日、死球で離脱した坂口へエール=保坂恭子)
中日松坂「プロ入り前からその姿を追いかけ、イチローさんがいたから今の僕があります。ただ、できることならばもう1度、イチローさんに投げたかったです…」(イチロー氏の引退発表翌日の3月22日にコメントを発表=伊東大介)
巨人阿部「お前が泣いてどうすんだよ」(9月25日、引退会見の壇上から言葉に詰まる記者へのひと言=為田聡史)
巨人今村球団社長「シュリンク(衰退)した業界にはいい才能は来ない。人間の資質が劣る業界はどんどん寂れていく」(6月、インタビュー取材の中で野球離れに警笛を鳴らした=為田聡史)
巨人原監督「キムタクがいればね。拓也聞いてるか!」(7月4日、ベンチ入り選手1人残す総力戦でサヨナラ勝利。捕手不在の危機は09年に内野手・木村拓也を捕手起用した采配に重なった。37歳で急逝した後輩を思い、天井を見上げて叫んだ=前田祐輔)
巨人菅野「投げても(登板は)1回、2回だと思うので出しきって。投げたら動けないくらいの覚悟で投げたいです」(日本シリーズ前の練習日、意気込みを聞かれ。満身創痍(そうい)のエースの決意が言葉に表れた=久保賢吾)
巨人坂本勇「自分でも40本打てるなんて、全く想像してなかった。常に何かを求めてやっていれば、自分でも不可能と思ったことが可能になった」(自身初のMVPを受賞。向上心を持ち、試行錯誤を重ねた先に道が開けた=久保賢吾)
前阪神鳥谷「大丈夫。こんなこともあったなって、いつか笑って話せる日が来るから」(事実上の戦力外通告を受けた直後の9月上旬、野球人生最大級の苦境に立たされても前向きな姿勢を貫いた=佐井陽介)
■MLB
カブス・ダルビッシュ「もう十分に貢献しているし、むしろ好きなように好きなこと言って、好きなことをして、自分のためだけに生きてほしいなと思います」(3月21日、イチローの引退報道に=四竈衛)
マリナーズ・イチロー氏「何が欠けても多分今日はない。なんだってそうじゃないですか。東京ドームの最後も、何が欠けてもあれは起きなかったというふうに考えると、やっぱり自分なりに頑張ってきて良かったなということですよね」(9月14日、シアトルでの引退セレモニーで英語スピーチ=四竈衛)
エンゼルス・オースマス前監督「メジャー25年間の中で、最も特別な瞬間の1つだった。みんなで達成したノーヒッター。その中にスカッグスもいたんじゃないかと思う」(7月12日マリナーズ戦。同1日にスカッグス投手が急逝して以来、初の本拠地試合で2投手の継投でノーヒットノーランを達成=斎藤庸裕)
エンゼルス大谷「野球人生を語るにはまだまだ序章。その前段階として、平成があったのかなと思う。新しい元号になって、これからが本番だと思っている。自分の力をもっともっと高くもっていけるように、毎年、そういう年にしたい」(4月25日、平成で最後のメディア囲みで新時代への思いを込めた=斎藤庸裕)
■日本代表
侍ジャパン稲葉監督「みんなが世界一を取るために一生懸命、やってくれた。そこにこみ上げてくるものがあった」(11月17日、プレミア12優勝を果たし、男泣き。涙の理由を聞かれ、1人1人名前を挙げて不慣れなポジションを受け入れたことに感謝していた=広重竜太郎)
■アマ野球
関東第一・大久保翔太外野手「ダメだからやめよう、は一番やっちゃいけないこと。一番下にいるなら、そこから上がるしかない。今思えば、野球が好きだったから。やめる選択肢はなかったです」(中学時代のイップスを高校で克服。つらい経験も前向きに受け止められる心の強さを感じた=古川真弥)
慶大・大久保秀昭監督「技量の違いはあるけど、野球と考えれば一くくり。いいチームを作る力があれば、アマからプロに行く人(指導者)も増えるかも知れない。プロが常に一番とは感じない」(神宮大会優勝で勇退。元プロ指揮官は新たな指導者像を示唆しているようだった=古川真弥)
JFE東日本・須田幸太投手「プロでダメだったら社会人でという気持ちでは、絶対に活躍できない。もう1回、初心に戻り、プロのプライドを捨てました」(DeNAを退団し古巣に戻った今年、社会人ベストナイン。ひたむきな姿勢が印象的だった=古川真弥)
秋田中央・後藤弘康部長「このチームにシニアの有名選手は? ボーイズの有名選手はいますか? 1人もいない。中学の軟式野球出身で、自宅から通っている。それでも、こうして甲子園に出場できて戦えた。君たちは胸を張って、誇りに思っていい」(8月7日、甲子園初戦敗退後のミーティングでの言葉=保坂淑子)
聖光学院・斎藤智也監督「個人主義から、周りの仲間を生かす。一燈照隅(いっとうしょうぐう)のチームになって、甲子園で泥臭く戦った。お前ら、かっこ悪くなかったぞ ! 」(8月12日、甲子園初戦敗退後のミーティングでの言葉=保坂淑子)
拓大紅陵・沢村史郎総監督「チームを作るときに青写真を描いているか? 指導者としてこういうプレーヤーになってもらいたい、こういう人間になって欲しい。そんな信念を持たないとチームは作れない」(7月15日、恩師である故小枝守氏から教わったことを聞かれ=保坂淑子)
花咲徳栄・菅原謙伸捕手「ネットに『ご両親の育て方が良かったんですね』とコメントが書かれていて、うれしかったです」(8月11日、甲子園で死球を辞退直後に本塁打。「フェアプレー弾」として米国でも称賛されながら、本人はいたって謙虚=金子真仁)
横浜隼人・佐藤一磨投手「1位でも育成でも、気を抜いたら飛ばされる世界だと思っています」(オリックスから育成ドラフト1位指名直後、すぐ「入団後」に目を向ける強さに成功を予感させた=金子真仁)









