昨年まで巨人の投手コーチを務めた小谷正勝氏(74)のコラム「小谷の指導論~放浪編」を毎月末~月頭の3回連載(予定)で送ります。コーチ一筋40年、数多くの名投手を育て上げた名伯楽。日刊スポーツでは12年以来となる長期連載で、余すところなく哲学を語ります。

19年2月、春季キャンプで2軍ブルペンで練習を見守る巨人小谷正勝巡回投手コーチ
19年2月、春季キャンプで2軍ブルペンで練習を見守る巨人小谷正勝巡回投手コーチ

8年ぶりに日刊スポーツで連載を持たせていただく前に、私事で恐縮ながら打ち明けておかなくてはならないことがある。

昨年の9月、長くお世話になった巨人軍に対し、来季の契約をご遠慮させていただくよう申し出た。体が思うように動かない状態で選手を指導することは、懸命に努力している選手たちに対して失礼だと思った。

体調に変化が出たのは6月ごろだった。今までに感じたことのない疲労感があり、立っているのがつらくなった。8月には歩行も困難になり、階段を上がるのがやっと。血圧は上が100を切り、頻繁に立ちくらみが起きた。内臓の調子も思わしくなく、便秘が続くように。あまりにも思わしくなかったので球団にお願いし、9月3日に昭和大学横浜市北部病院に入院した。この時点で退団の意向を伝えた。

最初の検査は内科の緒方先生にお世話になり、体内のヘモグロビンが3分の1に減少していたことが分かった。どこから漏れているのか調べていくと、胃と大腸に、がんができているのが分かった。

私は74歳にして無知というか野球バカで「がん=死」と解釈していた。告知を受けた時、生きて病院を出られないと覚悟した。しかし医療の進歩は素晴らしく、思いと大きな隔たりがあった。胃のがんは消化器の中村先生。大腸は石田先生。多くのフォローは竹原先生。ナース室の看護師の皆さん。多くの人のお世話となり、12月3日に退院した。

病室の天井を見上げながら、3カ月間いろいろなことを考えていた。

自分の病気を知ったその瞬間、確かに心の中に「もうダメかな」という気持ちが芽生えた。人は必ず老い、そして死ぬ。逆らえないものと理解し、腹はくくれているつもりだった。しかし意外なことに、決してそんなことはなかった。

不安や恐怖が湧いてきて、次には「絶対に死にたくない」「まだ死ねない」「生きたい」という気持ちが、ふつふつと湧き上がってきた。きれい事でなく、それが人間の本能だと思う。がんの病は、告知された人にしか心境は分からない。

先生には「ダメならダメと、正直に言ってください」と伝えた。「大丈夫です。きちんと治療すれば、あと10年、その先も」と言ってもらい、奮い立った。

勝負の世界で生きてきた。負けるわけにはいかない。私はがんと闘って、絶対に負けない。決してマイナス思考にならず「この野郎」の精神で立ち向かっていく。読者の中にも、がんを患っておられる方がいよう。決してあきらめず闘って下さい。生きてるだけで丸もうけ。死ぬこと以外かすり傷。私と一緒に立ち向かっていきましょう!

◇    ◇

病床で40年間のコーチ業を振り返っていると、指導してきた上での大きな過ちに気付いた。もう5年早ければ…選手たちに申し訳ない気持ちになった。(つづく)

<小谷氏が携わった投手>

04年2月、横浜春季キャンプで投球練習する佐々木主浩(右)を見守る
04年2月、横浜春季キャンプで投球練習する佐々木主浩(右)を見守る

【大洋・横浜時代】三浦大輔(現DeNA2軍監督)は、引退会見で「ここまでできたのは小谷さんのおかげ」と名前を挙げ感謝。代名詞の2段モーションを二人三脚で磨き上げた。骨盤付近の硬さを見抜いた野村弘樹には、上体を一気にかぶせるフォームを授けた。斎藤隆はスケールの大きさを大切にして大きく触らず、いずれもエース格に育てた。シュートの盛田幸妃(故人)とフォークボールの佐々木主浩をゲーム終盤の番人に据え、ファンから絶大な支持を得た。

【ヤクルト時代】地方出身の高卒新人に対しては、親代わりとして寄り添う姿勢を大切にしてきた。五十嵐亮太は戸田の2軍時代、寝食をともにして指導。五十嵐は折に触れ小谷氏の名前を出し、当時への感謝を忘れない。打者を1球で仕留めるウイニングショットを授ける能力にたけ、川崎憲次郎はシュートで台頭させた。打者心理を逆手に利用する技巧派の育成も巧みで、石川雅規は代表格。

【ロッテ時代】育成の西野勇士、高卒ドラフト下位の二木康太を1軍戦力として送り込んだ。再調整の唐川侑己にマンツーマン指導を行い、劇的に球速をアップさせて1軍に戻した。エースの涌井秀章も深い信頼を置き、技術指導を仰いだ。

【巨人時代】テスト受験した山口鉄也に対し、球団に獲得を進言した話は有名。上からたたきつける独特のフォームで人気を博した越智大祐とともに、勝ちゲーム終盤の担い手を育てた。2軍時代から指導を受けた内海哲也は、先発の軸となっても助言を仰いだ。上原浩治ら大物が再調整の際も、メカニックの修正を担った。

19年3月、ブルペンで力投する巨人上原(手前)に視線を送る小谷正勝巡回投手コーチ
19年3月、ブルペンで力投する巨人上原(手前)に視線を送る小谷正勝巡回投手コーチ

◆小谷正勝(こたに・ただかつ)1945年(昭20)兵庫・明石市生まれ。国学院大から67年ドラフト1位で大洋入団。通算10年で285試合に登板し24勝27敗6セーブ、防御率3・07。79年からコーチ業に専念。11年まで在京セ・リーグ3球団で投手コーチを務め、13年からロッテで指導。17年から昨季まで、再び巨人で投手コーチを務めた。