昨年まで巨人の投手コーチを務めた小谷正勝氏(74)のコラム「小谷の指導論~放浪編」を毎月末~月頭の3回連載(予定)で送ります。コーチ一筋40年、数多くの名投手を育て上げた名伯楽。日刊スポーツでは12年以来となる長期連載で、余すところなく哲学を語ります。

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昨年の秋、胃と大腸にがんを患い3カ月入院した。ベッドの上で投手コーチ業を振り返り、あれこれ思いを巡らせていた。

時が止まったような中に身を置くと、何げなく流れている日々がいかに大切か痛感した。世に出て活躍した選手もいれば、1軍の舞台を踏むことなく引退した選手もたくさんいた。能力を備えているからプロの世界に入ってくるのに、なぜ花開くことができなかったのか。1点、指導についての考え方そのものに問題があったと気付いた。

高卒で入ってきた選手に対しては、何の疑いも持たず「まずはじっくりと体作りを」と考えてきた。確かに、全体的に鍛えることはとても大切だが、果たして全員同じメニューでいいのだろうか。選手の特徴をいち早く理解し、ある選手は体幹、またある選手は体の回転など、鍛えるべき部位をもっと重点的に鍛えれば、進歩の度合いは高まるのではないか。

19年2月、練習を見守る巨人小谷正勝巡回投手コーチ
19年2月、練習を見守る巨人小谷正勝巡回投手コーチ

我々の時代は「とにかく走っていれば良くなる」「暇があったら走っておけ」が当たり前。そのまま引きずってきた。巨人軍を退団して、立ち止まって俯瞰(ふかん)して考えて、ようやく気付くのだから皮肉だ。あと5年早く…と今は思うばかりで、大きな遠回りをしていた。選手たちには「申し訳ありません」と言うしかない。

例えば、巨人には昨年、直江大輔と戸郷翔征という投手が高卒で入団した。直江はドラフト3位、戸郷は6位。将来が楽しみな、素材の良さを感じさせる投手だった。

直江は今の形でも、140キロ中盤から後半の直球を投げる。ただ、もっと早くから体幹の強化に力を入れ、体の爆発力をつけてやれば、150キロ以上は常に出るようになったのではないか。

一方で、戸郷はすでに150キロを超えるスピードボールを投げられた。つまり爆発力は持ち合わせているので、走らせることが重要なのだ。簡潔に言って、力の伝達とは下から上に伝わるのがセオリーでありベスト。日本シリーズで登板するなど1年目から活躍したが、走り込んでしっかりと下半身を作ることを勧めたい。

病院にいると、とにかくいろいろなことを考える。頭を整理するには有意義な時間でもあった。自分にとって、投手コーチを退くとは、どういうことか。人生を3つに分けて考えた。プロ入りから現役が第1の人生。コーチ時代は第2の人生。横浜、ヤクルト、巨人でそれぞれ2度、ロッテで1度。40年も務めさせていただいた。ではこの先、第3の人生は、どんな生きざまにすればいいのだろう。

これだけお世話になった野球とは縁を切れない。投球に対する知識はもちろん、すべては野球につながっていくのだが、自分の考えを包み隠さず伝えることで、特に若い投手を指導する上での道しるべ、ヒントを提供することが恩返しになる。結局、できることはそれしかない。

大きな希望と不安を抱いて入団してくる高卒選手の育成は、自分が果たすべき大きな役目だと肝に銘じていた。13年から4年間のロッテ投手コーチ時代に出会った、1人の高卒投手を思い出していた。(つづく)

19年1月、巨人新人合同自主トレを行うドラフト1位の高橋優貴。左は6位の戸郷翔征、右は3位の直江大輔
19年1月、巨人新人合同自主トレを行うドラフト1位の高橋優貴。左は6位の戸郷翔征、右は3位の直江大輔

◆小谷正勝(こたに・ただかつ)1945年(昭20)兵庫・明石市生まれ。国学院大から67年ドラフト1位で大洋入団。通算10年で285試合に登板し24勝27敗6セーブ、防御率3・07。79年からコーチ業に専念。11年まで在京セ・リーグ3球団で投手コーチを務め、13年からロッテで指導。17年から昨季まで、再び巨人で投手コーチを務めた。