亘理駅から再び常磐線に乗って南下を続けた。常磐道や国道6号と並走が続く。田園地帯から、少しずつ建物が増え始めた。相馬駅で人の波に流されるように下車した。

 
 
相馬駅の駅舎(撮影・湯本勝大)
相馬駅の駅舎(撮影・湯本勝大)

「震災直後に海を見に行ったけど、がれきが多かったのが衝撃的で、今でも相馬の海に行けてないです」 寂しげに語るのは、松崎伸吾さん(36)。相馬市出身の左腕で、青森の光星学院(現八戸学院光星)、東北福祉大を経て、05年大学・社会人ドラフト1巡目で楽天入団。生粋の東北人だ。

震災当日はケガのため、オープン戦で遠征中のチームを離れ、仙台でリハビリをしていた。「現実じゃないみたいだった。震災直後は情報もあまりなくて全容が把握できなかった。後々になって大変さが分かった」。チーム方針で一時的に被災地を離れたが、心は常に故郷にあった。

関東で支援物資の積み込みのボランティアもした。「プレーヤーとして東北を元気づけられたらいいなと思って、やっていました」。地元球団の地元選手だからこそ、特別な思いがあった。少しでも野球でつらい思いを紛らわしてもらえれば…必死で腕を振り続けた。11年オフにトレードで阪神に移籍。「震災直後ということもあって、東北を離れるのは少し寂しかった」と打ち明けた。

12年に引退し、現在は社会人野球のミキハウスで指導に励んでいる。三重で暮らすが、常磐道を利用して年に1回は帰省する。相馬は福島第1原発から50キロ圏内。双葉町や浪江町を通り、車窓からの景色にショックを受ける。「人がいないところは本当にいない。どこまで人が通れるかなって思ってしまう」。

ミキハウスコーチとして選手を指導する松崎伸吾氏(左)(撮影・湯本勝大)
ミキハウスコーチとして選手を指導する松崎伸吾氏(左)(撮影・湯本勝大)
3月14日に常磐線が全通し、いわき、上野方面へ向かう浪江駅1番線ホーム(撮影・湯本勝大)
3月14日に常磐線が全通し、いわき、上野方面へ向かう浪江駅1番線ホーム(撮影・湯本勝大)

震災後、1000年以上の歴史を誇るといわれる相馬野馬追祭りを訪れた。参加者が激減しているのを目の当たりにして、寂しさを感じた。「小さい頃に見たような野馬追をまた見たいなと思います」。常磐線の全線開通で、にぎわいが戻ることを期待していた。

松崎さんの思いに触れ、相馬駅から再び電車に揺られた。南下の終点、浪江駅(福島・浪江町)を目指した。

岩沼駅を起点とする常磐線のほとんどは原ノ町駅(福島・南相馬市)行き。乗り換えないといけない。岩沼~原ノ町間は平日1日23本あるが、原ノ町~浪江間は半数の11本しかない。浪江駅に到着すると、ホーム上には放射線の空間線量がリアルタイムで表示されていた。町の大部分が帰還困難区域に指定されている現実を痛感する。常磐線を南下する旅が終わった。浪江で育った先輩記者にバトンを渡そう。(つづく)

【湯本勝大】