トップメジャーとして長く活躍したイチローは、たゆまぬ探究心だけでなく、常に危機感を持ち続けていた。1年目に242安打、2年目に208安打を放って迎えた2003年。キャンプインを前に「石の上にも3年」のことわざを交え、自らの価値観をこう口にした。

「3年やって一人前。1、2年やっただけでレギュラーを与えられる立場ではないと思っています」

文句なしの成績を残したとはいえ、世界中から高い能力の選手が集まるメジャー。「光る選手もたくさんいるし、不安になることもある。確固たる意識は生まれてこないです」。成績にあぐらをかけば、定位置を奪われかねない。謙遜ではなく、自戒を込めた言葉に近かった。この年、212安打を重ねた後には、記録の重圧を「吐き気がするほど」と表現した。技術面だけでなく、精神面でも苦闘し続けた。

04年10月、年間最多安打の記録を打ち立てたイチローはファンの拍手に帽子を取って応える
04年10月、年間最多安打の記録を打ち立てたイチローはファンの拍手に帽子を取って応える

安打製造機とマシンのように表現されたが、思考は柔軟で、変化を恐れなかった。04年6月。試合前に突然、フォームを改良した。スタンスを狭め、右足を引き、バットを寝かせた。その感覚を、「寝たんです。寝かせた、ではなく」と言った。緻密な計算、理論ではなく、感覚から変化は生まれた。

その結果、同10月1日にはメジャーの年間最多安打記録を更新。最終戦までに262本を積み上げた。「(重圧は)軽くなかったです。ストレスにもなります。ただ、その苦しみは好きですよ」。大記録が近づけば周囲がざわつき、平静ではいられなくなる。その壁が高ければ高いほど、心は沸き立った。「それを乗り越えられる自分が現れるかもしれない期待というか、ゾクゾクします」。眉間にシワを寄せ、周囲を寄せ付けないような、強烈なオーラを発する一方で、達成後は柔和な表情で軽妙なジョークを交えて心境を雄弁に語る。そのギャップこそ、イチローの魅力だった。

その後も重圧を克服し高い壁を乗り越えてきた。10年には、前人未到の10年連続200安打を達成した。その一方でマリナーズは低迷しポストシーズンには進めなかった。偉大な個人記録とチームの不振。相反する現実に、イチローの心が揺れ始める。「20代前半の選手が多いこのチームの未来に来年以降、僕がいるべきではないのではないか」。

12年7月。自らの意思でヤンキースへの移籍を申し入れた。下位球団から常勝軍団へ-。「テンションの上げ方をどうしようかと思います」。新たな壁を求め、イチローは背番号「31」でリスタートした。【四竈衛】(つづく)