<オールスター第2戦:全パ7-3全セ>◇1996年(平8)7月21日◇東京ドーム

野球ファンでオリックス時代のイチローが球宴で登板したことを知らない人はいないだろう。オリックス監督だった仰木彬とイチローの関係性を象徴する出来事。球史に残る名場面には舞台裏の面白さもあった。

96年7月、オールスター第2戦で登板し、ヤクルト高津を相手に投球するオリックス・イチロー
96年7月、オールスター第2戦で登板し、ヤクルト高津を相手に投球するオリックス・イチロー

愛工大名電時代、投手だったイチローがプロで登板する。210安打で一気に注目を浴びた94年、日刊スポーツでその可能性を独自ネタとして掲載した。仰木始め関係者は否定せず、その実現がいつになるのかが注目されることになった。

機運が高まったのが96年の球宴前。95年、「がんばろう神戸」でリーグ優勝して全パ監督となっていた仰木がオリックス担当記者ににおわせた。この年の球宴は五輪(アトランタ)イヤーで3回戦制だった。当時、記者の間でささやかれたのは「富山では投げるのでは」という見方だった。

1戦目がダイエーの本拠地・福岡ドーム。2戦目は巨人、日本ハムがホームにしていた東京ドーム。周囲に配慮してフランチャイズ球場ではない3戦目の富山アルペンスタジアムで投げるのでは、という予想だった。

だが仰木はそんな見立てを笑うように2戦目に実行した。9回表2死から日本ハム西崎に代え、イチローをマウンドに送る。割れるような歓声。全セの打者は巨人松井秀喜だ。

すると戦前から仰木のプランに否定的だった全セ率いるヤクルト監督・野村克也は、ヤクルトの抑え投手だった高津臣吾を代打に送る手段に出る。結果は遊ゴロ。それでもスタンドは盛り上がり、テレビの前で野球ファンも喜んだ。

しかし代打を出した理由について「真剣勝負の場面で失礼だ」と説明する野村の意見に賛同する声も多かった。ファンサービスを重要視する仰木のスタイルと対比し、球界だけでなく世間を二分するようなムードになった。

翌22日。監督、選手を始めとする球宴一行は羽田空港から富山空港へ移動。野村とイチローは同じ便だった。私も乗った。

野村は最前列の席に座っており、イチローと対面する機会はなかった。だが富山入りし、記者に囲まれると持ち前のぼやき精神を発揮。「イチローはあいさつにも来ない」と文句を言った。さらに「なぜあんな場面で投げられるのかな」とも。

それに応える形でイチローが取材に応じたセリフが印象的だった。「ボクたちは体育会系なので。監督に投げろと言われて断ることはありません」。そういう趣旨の話をした。

監督の指令を守った選手。そんな構図を印象づけ、騒動を収束させた。売り出しに全精力を傾けていた仰木と、それに応えた選手。まさに師弟愛のなせるコンビネーションだった。(球場名など当時、敬称略)【編集委員・高原寿夫】