<ソフトバンク0-3オリックス>◇2012年(平24)10月8日◇ヤフードーム

負けている方が笑っていた。ソフトバンク小久保裕紀はこれが引退試合だった。9回2死走者なし。20歳下のオリックス西勇輝の快投を見届けると、ふふっと口元を緩めた。「しかしオレも持ってるわ。不謹慎やけど、ここで本当になったら波瀾(はらん)万丈やなと思ったけど。引退試合の日にありえんで。今まで1回も経験ないのに、ここであるか?」。プロ19年目、2057試合目で初めて無安打無得点を食らった。

12年10月、オリックス戦の7回裏、西(左)に遊ゴロに打ち取られるソフトバンク小久保
12年10月、オリックス戦の7回裏、西(左)に遊ゴロに打ち取られるソフトバンク小久保

8月にこの年限りでの引退を表明し、本拠地で迎えた最終戦だった。小久保は自宅の神棚に手を合わせ、縁起物として玄関先に据えたふくろうの置物2体の頭をなでて出発。ウオーミングアップを含めていつもの流れで試合に入ったが、想定外の結末が待っていた。

自身は二飛、一飛、遊ゴロの3打数無安打。それでも「今日の対戦は本当にうれしかった」と言った。前日から「真剣勝負がしたい」と忖度(そんたく)不要を訴え、西は抜群の制球力で真っ向から応えた。12個のゴロアウトをとり、松中信彦への1四球のみの打者28人で終える「準完全」。「誰か1本くらい打つやろうと思った」という小久保の淡い期待は、最後の打者、松田宣浩が遊ゴロに倒れて消えた。大引啓次が西に抱きつき、女房役の伊藤光は号泣していた。「光さんめっちゃ泣いていた。普通は僕が泣くところなのに、大丈夫? と聞きました」。からから笑う21歳の西は前年日本一のソフトバンクにこの年4戦4勝とめっぽう強かった。平成生まれでは初の快挙を達成し、翌年は28試合を投げて先発の柱になっていく。

試合後、さらに前代未聞の出来事が起きる。ソフトバンクはレギュラーシーズンを3位で終了。セレモニーであいさつした秋山幸二監督の声色が突然、きつく変わった。「今日初めて僕はノーヒットノーランを食らいました。これは悔しい! このままじゃ終われないと思います。選手1人1人に、CSに向かって意気込みを語ってもらいたいと思います!」。普段はもの静かな指揮官の目がつり上がった。怒っていた。右手に握ったマイクを選手に突きつけ、横一列に並んで全員による「公開反省会」へ発展。どよめきと喝采が球場を埋める中、松中が、多村仁志が、内川聖一がマイクをとった。

小久保41歳の誕生日の出来事だった。後にCSファイナルステージで散ったが、西の人生とはクロスしていく。ユニホームを脱いで1年後。「想定外だった」というオファーを受け、スーツ姿で都内ホテルで会見に臨んだ。「このたび新生侍ジャパン、日本代表監督になりました、小久保裕紀です。昨日42歳の誕生日を迎えたばかりです。若輩者ですけど、日本のために精いっぱいやりたいです」。やがてノーヒッター西を招集。世界一を目指す戦いへともに踏み出していくのだった。(球場名など当時、敬称略)

【押谷謙爾】