記者が出会った「忘れられない味」を取り上げる。

仙台市内で飲食店「松平」を営む、親方の高野次夫さん(右)とおかみの栄子さん
仙台市内で飲食店「松平」を営む、親方の高野次夫さん(右)とおかみの栄子さん

仙台の歓楽街・国分町の外れに「松平」という店がある。

「まつべい」と読む。楽天を担当していた10、11年、ナイターの終盤になると電話をし、夕食をいただいた。寡黙な料理人と、「親方」と呼ぶ元気なお母さん。イーグルスが大好きで、営業時間を過ぎても待っていてくれた。

当時の楽天は弱かった。3人でスポーツニュースを見ながら、あれこれ話して1日が終わった。親方は、仙台から30キロほど南の港町、亘理・荒浜の出身。ヒガンフグ、ガゼウニ、天然のうなぎ…旬にこだわり、素材を引き立てる調理に徹していた。

東日本大震災からそう日を置かず、店を開けた。魚のサイズがふた回り、小さくなっていた。「地の魚がなかなか手に入らない」と言い「店を開けるだけありがたい」と続けた。涙を浮かべながら「地元の仲間をたくさん失った。国分町で働いている人は、同じ経験をしている人が多い」と言って、刃の長い包丁を握る手元に集中していた。

9月の下旬ころになると、亘理の郷土料理「はらこ飯」を出した。店先の看板に赤字で「はらこ飯」と入ると、それは宮城にサケが上り、新米が入った知らせだった。サケの煮汁でさっと炊き、ふっくら焼いた身とイクラを乗せ、骨のアラ汁を添えた。薄味でも、食べ進めればしみじみとうまさが広がった。遅くても12月上旬までの味。毎日のようにいただいた。

11年のシーズンを終え、東京に戻ることになった。

「巨人担当になりました。お世話になりました」

「こちらこそ。楽天、強くなるといいけど」

2年後の晩秋、楽天は巨人との日本選手権に進んだ。仙台での試合前取材中、おかみさんから電話をもらった。「今、ちょっと時間ある? 球場の正面にいるんだけど」。

試合を観戦するという。笑顔の2人は両手にビニール袋をぶら下げていた。「いつも『おいしい、おいしい』って、はらこ飯、食べてたでしょ。差し入れを持ってきたよ。みなさんで食べて」。

多くの野球人とこの店で食べたが、何を話したかは覚えていない。2人が供する空間は滋味深い東北の味そのものであり、心地よさに身を委ねた時間がいかにぜいたくだったか。距離を置くとよく分かる。

「おいしい」だけでは忘れられない味を語れない。(つづく)【宮下敬至】

◆「魚貝料理 松平」仙台市青葉区国分町2の12の16 マークビル2階