木更津総合(千葉)・篠木健太郎投手(3年)の信念は揺るがなかった。2年夏、取材した時の言葉を思い出す。「僕は(東京)6大学に進学して、プロ野球に行きたい」。あれから1年半。「小さいころから6大学野球に憧れていた。そのために木更津総合に進学した」と真っすぐな目で答えた。

大学進学を決め、4年後のプロ入りを目指す木更津総合・篠木
大学進学を決め、4年後のプロ入りを目指す木更津総合・篠木

県NO・1投手と注目を浴びてきた。1年春からベンチ入りし、その夏の甲子園に出場。3回戦の下関国際戦、リリーフで甲子園のマウンドを踏んだ。躍動感あふれるフォームから繰り出す最速149キロの伸びのある真っすぐと鋭いスライダーを武器に、2年夏からエースを務めた。冬には五島卓道監督(66)に「プロに行く気はあるのか」と問われたが「大学に行きたい。迷いはありません」。確固たる信念を貫いた。

幼少時から文武両道だった。親の方針で「成績が落ちたら野球はやめる」という条件で、小学3年から野球を始めた。平日は勉強、土日は練習。中学まで成績はオール5、館林ボーイズでは中学3年で東日本選抜大会出場と野球と学業を両立した。そんな時、木更津総合OBの早大・早川隆久投手(4年)の存在を知った。甲子園でも活躍し、東京6大学へ。文武両立の手本のような存在に、魅了され同じ道を目指した。

苦しい3年間だった。好投手と期待されながらも、2年夏、秋とあと1歩で甲子園出場を逃した。「何が勝てる投手なのか。苦しい1年でした」と振り返る。しかし、五島監督就任後初の「エースで主将」が篠木を変えた。三振を奪う投球から、打たせて取る投球で野手のリズムを作った。球種も増やし、自信を持って投げる球に力が宿る。「勝てる投手の本当の理由を理解できていなかった。打ってみろ、と自信を持って投げる球は違った。心が未熟でした」。心身ともに成長した篠木は、今夏の県独自大会の頂点に立った。

早川の活躍にも多くを学んだ。10月3日、神宮球場で早大-法大を観戦した。早川と法大・鈴木昭汰投手(4年=常総学院)の息詰まる投手戦。早川の姿にハッと気づかされた。3アウト目を奪い、ベンチに戻る時、必ずベンチ前で立ち止まり野手を出迎えていた。「同じ主将でも自分と全然違う」。ドラフト1位でプロ入りする投手の人間性に「早川さんにはかなわない」と脱帽。改めて大学で学ぶ決意を固めた。

篠木と早川。五島監督は「頭の良さや、目標に対して計画を立て実行していく姿は早川とダブる」と話す。大学進学を希望しているが、早川のような成長を期待せずにいられない。「4年後、今この選択が間違っていなかったと思えばいい。自分をもっと高めてからプロに行きたい」と篠木。その可能性は、無限に広がる。【保坂淑子】