関東の最東端、千葉県銚子市を走る銚子電鉄は開業1923年(大12)の歴史を持つ、全長わずか6・4キロメートル、2両編成のローカル線だ。再三の倒産危機を、奇想天外なアイデアと、沿線住民や全国の鉄道ファンの支えで乗り越えてきた。銚子は野球熱が盛んな町でもある。鉄道と野球の縁を紹介する「鉄道と野球」シリーズ第5弾です。

 
 

東京駅からJR特急しおさいに揺られ、2時間弱。房総半島の根元を横切ると、銚子駅に到着した。渡線橋を渡り、隣ホームへ。そのまま東へ進むと「スイカ・パスモ等のICカードはご利用できません」の案内とともに、オランダの風車小屋を模した駅舎が出迎える。銚子電鉄の銚子駅だ。が、何かおかしい。風車小屋なのに風車がない。ただの小屋…。

銚子電鉄は90年にバス会社から工務店に売却された。新オーナーは、工務店ならではの視点で改修に乗り出した。銚子駅以外にも、スイスやポルトガルをイメージした駅舎が誕生。話題を呼んだ。ところが、バブル崩壊のあおりで工務店は破産状態。電鉄の社長を兼務していた工務店社長が横領で逮捕される始末に。経営は悪化し、老朽化で風車が外れても修理できない懐事情があった。

風車が外れたままの銚子電鉄・銚子駅の駅舎
風車が外れたままの銚子電鉄・銚子駅の駅舎

奇想天外なアイデアで奮闘を続けている。“小屋”の壁に目をやると「絶対にあきらめない ちょうし駅」の看板。隣の仲ノ町駅は「パールショップともえ」。ネーミングライツで少しでも収益を上げるためだ。インパクト大は、笠上黒生(かさがみくろはえ)駅の「髪毛黒生」。シャンプーメーカーが出資した。

副業で始めた、ぬれせんべいは有名になった。今や売り上げが会社全体の7割を占め、信用調査会社には「鉄道会社」ではなく「米菓製造」で登録されているという。15年から始めた、お化け屋敷電車は夏の風物詩に。最近では映画まで作った。その名も「電車を止めるな!」。自虐的な題名は、言うまでもなくヒット作「カメラを止めるな!」から拝借。本家の了解は得たそうだ。

経営危機が続く銚子電鉄を支える鉄道マンにも、野球が大好きな人がいる。施設課長の磯崎幸洋さん(44)は「野球をやって筋肉痛。治ったら、また野球の繰り返しですよ」と笑う。銚子生まれ、銚子育ち。銚子電鉄で通学し、今では息子が3人。シニアでプレーする中1の長男を筆頭に、全員が野球をやっている。

銚子電鉄の施設課長、磯崎幸洋さん
銚子電鉄の施設課長、磯崎幸洋さん

週末は朝4時半に起き、長男を車でグラウンドまで届ける。そこから次男たちの学童野球を指導。「息子はプロ野球選手になれると信じてます。夢を見させてもらってるんです」。

長男の進路は、これからだが「商業で活躍できればなあ」と地元の名門、銚子商を口にした。木樽正明、篠塚和典、尾上旭、沢井良輔。プロに進んだOBの名前も、すらすら出る。「毎年、野球教室で誰かしら来てくれて、自分の方が夢中になっちゃいます。商業じゃないけど、長谷川昌幸さん、石毛宏典さん、石毛博史さん、オリックスに行った榊原翼も、銚子や、このあたり」と誇らしげだ。生活に欠かせない電車が走る町。そこには、野球を日々の張り合いとする人がいる。(つづく)【古川真弥】