連載のタイトルに「放浪編」と副題をつけた理由の1つに、ヤクルトの奥川恭伸とロッテの佐々木朗希を自分の目で見たいという希望があった。2年前の秋、がんの手術を行った。球場に足を運び、未来のプロ野球をしょって立つ投手から元気をもらおう…リハビリの励みとしてきた。

高校時代の両右腕は、それだけの輝きを放っていた。奥川は、3年夏の甲子園での投げっぷりを見て「1軍ですぐに仕事ができる」と確信した。フォームは高校生らしからぬ完成に近い形でコントロールが良く、球も力強かった。

西武戦に先発したヤクルト奧川(2021年3月21日撮影)
西武戦に先発したヤクルト奧川(2021年3月21日撮影)

体力面や体の各部位に、プロの実戦に耐えうる強さがあるかが課題だった。実際に右肘を痛めたが、昨春キャンプのブルペンで「おや?」と思った。不思議なことに、何も言うことがないほど完成されたフォームを2段モーションに変更していた。

明確な目的や理由はあったのだろう。一層、2年目に注目した。しかし3月21日の西武とのオープン戦を見る限り、本来の奥川からすれば物足りなさが残った。高校時代は相手を見ながら投球できていたのに、今は「自分の球、強い球を投げる」という意識の方が強く、マウンドで余裕がなさそうに映った。

メカニックで感じたことを記す。高校時代はマウンドの傾斜を利用し、体重移動時に落ちる力を上手に使いながら、腰も縦に回り、球持ちも長かった。今は腰が横回りしている。また、肩甲骨の動きが狭く、柔軟性が消えている。コントロールを意識しすぎるからか、体重移動の前に上体が捕手方向に向って下半身が使えず、手先で投げるような形になっている。

投手は、どこかを痛めると無意識にその部位をかばって、フォームが変わることがある。キャンプのブルペンでは、リリースで球を「なでる」ように見えた。ただ、ボール自体に力強さが戻りつつあるのはいい兆しで、モノは別格であることに変わりはない。どのような投法でもいいのだが、投球動作には力を出すための原理原則がある。野球のふるさと、原点に返ってみてはどうだろうか。

3月に実戦登板を開始した佐々木朗は、スタートラインに立ったところだろう。高校時代に160キロを超える真っすぐを投げられたのだから、日本のプロ野球界の財産となりうる存在であることは間違いない。

ブルペンで力投するロッテ佐々木朗(2021年2月1日撮影)
ブルペンで力投するロッテ佐々木朗(2021年2月1日撮影)

2月1日、ブルペンで投球する姿は美しかった。左足を高く上げながらもバランスを保ち、真っすぐに立った時には鶴が片足で立っているように感じた。高校時代はリリース時にもっと上からたたく印象で、今はぶん回してるように映った。それでもゲームの中でも150キロを超える速球をゾーンに投げられるのだから素晴らしい。

走者を抱えた時の投球をはじめ、今後、ゲームをこなしていくうちにさまざまな課題に当たる。悩むだろうが、太陽は西に沈んでも、必ず東から上がってくる。信号は赤になっても、待てば必ず青になる。焦らず、長所を伸ばしていく方が成長は早い。(つづく)

◆小谷正勝(こたに・ただかつ)1945年(昭20)兵庫・明石市生まれ。国学院大から67年ドラフト1位で大洋入団。通算10年で24勝27敗。79年からコーチ業に専念。11年まで在京セ・リーグ3球団で投手コーチを務め、13年からロッテで指導。17年から19年まで、再び巨人で投手コーチ。

小谷正勝氏(19年1月撮影)
小谷正勝氏(19年1月撮影)