時は流れ、2021年4月10日。52歳になった杉浦正則は左手を振りながら、夕暮れの和歌山を走っていた。右手に握りしめたトーチには煌々(こうこう)と聖火が灯っていた。

10日、聖火ランナーを務めた杉浦正則氏
10日、聖火ランナーを務めた杉浦正則氏

舞台は高校時代を過ごした橋本市の運動公園。歌手の坂本冬美から火を託された。92年バルセロナ、96年アトランタ、00年シドニーに続く“4度目”のオリンピック(五輪)。いち社会人として、思うところがあった。

「今までは人と接してコミュニケーションを取りなさいと言われてきたのに、このコロナ禍の中で、私たちも人との接し方にちょっと希薄なところが出てきていた。今回、聖火リレーを通じて多くの人に手を振っていただいて、本当に心が温まったというか…。心に突き刺さりました」

新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、遠くから眺める観客は皆、距離を取っていた。マスク姿で声も出せない。それでも懸命に手を振り返してくれた。手をたたき続けてくれた。

「移動中のバスにも手を振ってくれて…。人と人のつながりを感じました」

絆。

杉浦自身、世界を襲う未曽有の事態にのみ込まれている1人でもある。日本生命の首都圏法人営業第四部・法人部長として苦悩する毎日。3度の五輪で痛感したはずなのに、日々の業務に忙殺されて忘れがちになってしまっていた「つながり」の重要性を、聖火がまた思い出させてくれた。

新型コロナウイルスは今も世界中で猛威を振るっている。東京五輪は開催されるのだろうか。懐疑的な声も、もちろん耳に入ってくる。そんな状況ではあるけれど、杉浦は今も五輪の底力を信じる。勝ちたいからぶつかる。助け合う。熱くなる。侍ジャパンが伝えられることに期待している。

「心のつながり、ですよね。プロ野球でも4番、エースばかりを集めても、そこまで勝つ確率は上げられない。野球は失敗ありきのスポーツ。その失敗を互いにカバーして勝つ確率を高めていく。自分がダメでも『後は頼んだ』『任しとけ』と言わなくても心でつながれる形があれば、絶対に日本は勝つと思っています。人は、一生懸命何かを目指して最後まで諦めない姿に感動する。1つ1つの試合で感動を与えて、ぜひ金メダルを取ってほしい」

今春、聖火を見つめ続ける人々の目と出会って、感じたことがある。

「五輪は1つのモノに集中することで世界各国の方々がつながれる。その競技を見て熱くなることでつながれる。最後に聖火が消える時、コロナで大変だけどみんな頑張ろうと、そういうメッセージが送れるような五輪にしてほしい。そのためにも、競技者は全力でみんなを熱くしてほしい」

杉浦は今、切に願う。【佐井陽介】(敬称略、所属チーム、肩書は当時、この項終わり)

◆杉浦正則(すぎうら・まさのり)1968年(昭43)5月23日、和歌山県生まれ。橋本高から同大、日本生命に進み、92、97年の都市対抗Vで、ともに橋戸賞(MVP)受賞。3大会連続五輪出場で、通算1位の5勝。現在は日本生命首都圏法人営業第四部・法人部長。