ロッテ佐々木朗希投手(19)が希代の快速球を投げ、岩手・大船渡高で仲間たちと甲子園を目指した最後の夏から、2年が過ぎた。震災と「あの夏」を越え、故郷を巣立った彼らは今、何を思うか。当時のチームメート5人を訪ねた。

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今野聡太さん(19)はその一瞬を覚えていない。1年前の7月30日、大学(盛岡大)のテスト前の暑い日だった。講義を終え、自転車での帰り道。道路を渡るところから記憶はしばし飛ぶ。

「気を失ったみたいで。気付いたら救急車。次に気付いたのはヘリコプターの中でした」

軽自動車に姿を見落とされ、時速40キロのままで衝突された。ヘリコプターで盛岡近郊の大型病院に搬送。一命は取り留めた。CT検査後、大船渡から駆けつけてくれた父の青ざめた顔もうっすら記憶にある。

リハビリを含め退院まで2カ月近く。「結果的に不自由になる部分はなかったんですが、脳の中に血腫が少し残ってて」。小学校教師の母は職を辞してまで、日常復帰に寄り添ってくれた。命の重み、決断の尊さ。思い立ち、ベンチプレスを再び上げ始めた。

「人生、後悔したくないと強く思いました。2年生でやりたい勉強を全てやって、3年生から硬式野球を再開するつもりです。活躍して終わりたいので」

3番今野、4番佐々木の並びだった。3年夏の大会途中にケガをし、ラスト3試合はベンチで声を張ることしかできなかった。本当は関東の強豪大で活躍したかった。友の勇姿はよく見る。「朗希かっこいいな、すごいな。うらやましいな、もあります」。

10年来の仲良しは、届くのも大変な次元へと伸びた。関係性は4年1組の時から同じままだ。1日違いの誕生日。高校ではサプライズをし合った。17歳で贈ったタオルに「切り開くよ新時代」と刺しゅうを入れた。好きな歌の一節。彼に似合う言葉と思っている。同じ21世紀生まれの自分もまた、新時代の担い手だ。

「コロナで少し暗い雰囲気ですし、自分たちの世代が何かきっかけを作って、少しでも前向きな時代になればと思います」

奇跡的につないだ命。悔いなきよう切り開く。今の思いを後押ししてくれる、大事な言葉がある。18歳の誕生日、友がくれたタオルに刺しゅうされていた。「ALL IS WELL」。きっと、うまくいく-。(この項おわり)

【金子真仁】