弘前学院聖愛(青森)は、初出場した13年夏以来8年ぶりの甲子園だった。改革がようやく実を結んだ原田一範監督(43)は、2度目の聖地までの道のりを「この8年間は長かった。いろいろなことにチャレンジしてきましたから」と、かみしめるように振り返った。

ノーサイン野球を徹底する。転機が訪れたのは、5年前のこと。出席した、ある講演会だった。

「経営者対象の講演会だったんですけど、『これからの時代は野球型人間は使えない』と。上司(監督)の顔色をうかがって1球1球その指示に従っていくような人間は、生きていけない、働いていけないよと。その話を聞いて、自分の中ですこーんときましたね。思い切って、野球で人を育てようと思い、ノーサイン野球にしました」

試合中はベンチから戦況を見つめ、アドバイスを送るだけ。あとはグラウンドに立つ選手が状況判断し、戦術が決まる。「野球は無数の状況判断があるスポーツですので、それを1回1回(監督が)指示を出してしまうと、生徒の状況判断能力の壁になってしまう。意外にも、監督が采配して邪魔することの方が多いんじゃないですか」と笑う。

すぐには結果が出なかった。初出場した13年夏に全国16強入りしたが、それ以降は甲子園が遠ざかっていった。18、19年夏は2年連続で青森大会決勝で八戸学院光星に敗れた。あと1歩のところまできたが、強豪の壁は厚かった。「そんなこと(ノーサイン野球)してて、勝てるわけないだろ」。批判されることもあったが、原田監督に葛藤や戸惑いは一切なかった。

なぜなら、本質は野球部の理念にあるからだ。「高校野球を通じて自立させて、強く生き抜いていくための力を養い、全部員の成長と幸福を追求し、次世代を担う社会貢献できる人材を形成する」の理念とともに活動。週2、3回は朝の勉強会として歴史上の人物や偉人から学ぶ。「経営の神様」と呼ばれた故松下幸之助氏、京セラ創業者・稲盛和夫氏の言葉から、選手同士で感じたことを話し合う。野球以前に、人としての教育を深め合っている。

2度目の甲子園は初戦で石見智翠館(島根)に競り負けたが、ポリシーは最後まで貫いた。「目標は甲子園で優勝ですけど、目的は野球を通じての人材形成です」。敗戦にもぶれることはない。「聖愛野球」には勝利以上に、大切なものがあった。【佐藤究】

8月21日、全国高校野球選手権で石見智翠館 に敗れてあいさつする弘前学院聖愛の選手ら
8月21日、全国高校野球選手権で石見智翠館 に敗れてあいさつする弘前学院聖愛の選手ら