智弁和歌山の校歌を聞き終わると、ベンチ前で智弁学園(奈良)の選手が悔し涙に暮れた。8月29日の夏の甲子園決勝。前川右京外野手(3年)は天を仰ぎながら涙をこらえた。泣き崩れる植垣洸捕手(3年)を抱きかかえ、言葉を掛けた。「最後までみんな一生懸命戦えたことを誇りに思い、前を向こうと」。最後の夏は甲子園で2本塁打。完敗しても、胸を張った。

最上級生の今年、春は自分を見失い、不振に陥った。「自分1人で野球をやるな。チームとして、選手の役割を果たしていない」。小坂将商監督(44)に戒められた。1年から起用されてきた。期待が大きい分、厳しい言葉もあった。だが、根底にあるのは愛情だ。

「毎日、打撃でいい時、悪い時、廊下で会っても声を掛けていただいた。ひと言に重みがある。心に染みるものがたくさんあった」

前川の感謝に触れ、何年も前の会話を思い出した。私が広島担当だった頃、広瀬純外野手(現外野守備走塁コーチ)との雑談は法大3年の99年春、東京6大学の3冠王に輝いた当時の記憶だった。「同じ右投げ右打ち、1つ上の先輩で勝負強さや気持ちの強さがあって見習っていた。小坂さんとは切磋琢磨(せっさたくま)しました」。法大4年で主将だった、小坂の素顔だ。小柄だったが、夜の室内練習場で一心不乱にバットを振っていた。

「とても熱くて、勝負に対して執念を燃やす。心が入ってなければ、後輩を厳しく叱る。でも、優しく指導もしてくれました」

99年春、一緒に外野のベストナインに輝いた広瀬は印象深い光景がある。「外野から『逃げるな!』って投手に叫んでいて。外野から、なかなかないですよね」。投手は気弱でボールが先行。小坂先輩は大声でマウンドに向けて鼓舞していた。「弱気のプレーにすごく言ってました」。取材ノートに書き留めていた野球人・小坂の実像だ。攻めに徹する。今も智弁学園の監督として貫く姿勢だろう。

8月28日。小坂監督は準決勝の京都国際戦の前、3番前川に声を掛けた。「今日勝ったら、明日は1番でいく」。大一番は自分がほれ込んだ打者から攻める。「相手にプレッシャーをかけたい」。期待に応える3安打。指揮官は言う。「1年の頃から4番を打たせて重圧もあった。(甲子園で)本塁打をもう少し早く打たせてあげたかった。最後の夏に2本打てて、自信になったと思う」。センバツで打てず、泣いた姿はない。前川は指揮官の情熱に導かれ、甲子園で大きく育った。【酒井俊作】

横浜戦で2点本塁打を放った前川(左7)を迎える小坂監督(21年8月21日撮影)
横浜戦で2点本塁打を放った前川(左7)を迎える小坂監督(21年8月21日撮影)