アマチュア野球の世界で、元プロ野球選手たちが新たな闘いに挑んでいる。監督として再び野球に向き合う、その心中に迫った。

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日本ハム、大洋(現DeNA)などでプレーした島田直也監督(51)が母校・常総学院(茨城)の監督に就任し、1年3カ月が過ぎた。昨秋は関東大会に準優勝し、今春センバツに出場。春季関東大会は4強。順風満帆かと思われたが、今夏の県大会で決勝敗退。新チームで迎えた秋。県大会でまさかの初戦敗退に終わった。島田監督は「この約1年間、本当にいろいろな経験をさせていただいた。今もし、木内さんが生きていたら…聞きたいことがたくさんありますよ」。高校野球の監督として苦境に立たされ、昨年11月24日に亡くなった恩師・木内幸男氏(享年89)をしのんだ。

母校をもう1度強くしたい-。春夏合わせて全国優勝2回、準優勝2回の名門だが、16年夏に8強入り後、甲子園出場を逃していた。「勝たせたい。強くしたい。俺には母校を甲子園に連れて行く使命がある」と意気込んだ。

選手たちには「新しい常総を作ろう。何でも聞いて」と歩み寄った。観察し、褒め、積極的にコミュニケーションをとった。「最初は怒ることよりも『俺はこう考えているからやろうよ』と始めた」。小技が伝統の常総学院が、バントひとつできない現状を目の当たりにし、繰り返し練習することの重要性を説いた。「プロの投手でも、センターへの強い打球は嫌なもの」と時折、プロ野球の話を盛り込みながら、興味を引きつけ、打撃を徹底。バント練習から走塁練習。島田野球を少しずつ浸透させた。元プロが伝統校を引き継ぎ「勝って当たり前」というプレッシャーに眠れない日々を過ごしながらも、センバツ出場までこぎつけた。

いいことは、そう長くは続かなかった。センバツでは2回戦、中京大中京に5-15と大敗。「全国のレベルを痛感した。ボロ負けした3月26日は一生忘れない。本当に悔しかった」。選手たちも同じ気持ちのはず。どうやって夏までにチームを立て直そうか。思いを巡らせグラウンドに行くと、選手たちの姿勢にがくぜんとした。「余裕がある。必死さがない。『俺、もう甲子園に出たし』という雰囲気が漂っていたんです」。

温厚から熱血へ。コミュニケーション第一の指導から、時に厳しく声を上げた。「悔しくないのか? 俺は絶対に一生3月26日を忘れないぞ!」。春の大会、ベンチからもたびたび、監督の大きな声が聞こえた。「やる気はあるのか!」。選手を鼓舞しながら、打順を入れ替え、技術を引き出し、関東大会4強入り。「ちょっとは監督らしくなってきたかな」と笑う。

就任当初から「甲子園は選手を成長させてくれるところ」と口にしてきた。初めての甲子園を経験し、今あらためて思う。「甲子園は、選手をダメにするところでもあるんですね」。少しのボタンの掛け違いで、子どもを勘違いさせる。甲子園は怖い場所。島田監督の本当の勝負は始まったばかりだ。【保坂淑子】(この項つづく)

◆島田直也(しまだ・なおや)1970年(昭45)3月17日、千葉県柏市生まれ。常総学院から87年ドラフト外で日本ハム入団。大洋、ヤクルト、近鉄をへて03年引退。通算419試合39勝38敗。97年に最優秀中継ぎ投手。引退後は独立リーグの指導者を歴任。15~17年はDeNA2軍投手コーチ。