8年前と同じだった。阪神育成の藤谷洸介内野手(25)は7月、鳴尾浜での試合前、三塁ノック中に腰に激痛が走った。病院に行き「椎間板ヘルニア」と診断された。「腰は初めて。告げられた時に、心の中でプツリと…ああ引退かなと。自分らしい終わり方ですよね」。支配下復帰へ勝負の5年目だったが、キャンプで右内転筋を肉離れ。復帰は5月と出遅れていた中でのアクシデントだった。

8日、12球団合同トライアウトで打席に立つ阪神藤谷
8日、12球団合同トライアウトで打席に立つ阪神藤谷

16年ドラフト8位で投手としてパナソニックから入団。194センチの長身右腕は、山口・周防大島時代からプロ注目だった。3年夏の13年7月13日、5球団のスカウトが見守る中、初戦の新南陽戦に先発した。だが、15球目を投げた瞬間「リリースした時にバキッって音がした」と、右肘を骨折。試合中に病院に行き、右腕をつるしてベンチに戻り、敗戦を迎えた。「あの時も野球をやめようと思いましたね」。そこから社会人で3年リハビリし、腕を磨いてプロにたどり着いた。

13年7月、阪神藤谷(中央)は周防大島3年夏、試合中に右肘を骨折して右腕をつった姿で敗戦を迎えた
13年7月、阪神藤谷(中央)は周防大島3年夏、試合中に右肘を骨折して右腕をつった姿で敗戦を迎えた

阪神では2年目の18年8月に野手転向。そのオフに育成契約となり、背番号は「45」から「125」に。長打力が魅力の大型内野手だった。投手も野手もやり、大きなケガもした。その経験を生かし、引退後は関西で自分の野球スクールを開講し、子どもたちを指導する目標を決めた。現在は学生野球資格回復のための研修を受けている。資格を持ち、まずはどこかの野球塾の先生として、修業できる場所を探している。


有莉亜夫人(24)も「共働きで頑張ろう」と背中を押す。12球団合同トライアウトで最後の姿を見せた長女・心遙(こはる)ちゃん(4)、長男・丈遙(ともはる)君(2)は幼い。2軍監督時代に野手転向へ導いてくれた矢野監督にも、スクールができたら、報告に行くつもりだ。「基礎からしっかり。プロの技も教えたい」。野球の楽しさも故障予防も教えることはたくさんある。【石橋隆雄】