この秋、呉港(広島)の田中多聞外野手(3年)が野球人として至福の感触を味わった。思わず声がはずむ。「長い。思ったよりも軽いです」。10月下旬、学校の好意で白木のバットに触れる機会に恵まれた。初代ミスタータイガースと称された、藤村富美男さんの「物干しざお」だった。

誰よりも長いバットはそう形容され、トレードマークになった。同校の前身、呉港中は1934年(昭9)に夏の甲子園優勝。その立役者となり、のちに阪神の草創期を築いた大打者だ。同校には94センチの愛用バットが残っている。校舎の一角。田中はバットを立てて、しばし考え込んだ。「僕が使うのは、もうちょっと長いです」。実は田中も長尺バットに縁がある。今秋ドラフト候補に成長するキッカケになった。

高校通算48本塁打を誇る左打ちのスラッガーは量産ぶりがすさまじい。昨年までで17発。今年だけで31本をかっ飛ばした。急成長の理由を「冬の練習です。誰よりもバットを振っていた自信がある」と明かす。昨秋の広島大会は英数学館に1回戦負け。田中は指導陣に言われた。「呉港で最弱世代」。悔しさをバネに、午前6時から素振りを欠かさず行うようになった。多い時は朝だけで1000スイング。ときには1日2000スイングに達した。

朝から用いたのが長尺バットだった。「100センチです。長いバットを使えるようになったら、短いバットは簡単に使える。ヘッドも利くようになりました」。ゾーンを9分割して速球、変化球を想定し、18種類の軌道で振り込んだ。「令和の物干しざお」が打者としての器を広げてくれた。

「これだけ振ったから少々の投手は打てる。スイングスピードが速くなり、球をよく見られて、変化球も止まるようになった。球が遅く感じた。自分でもビックリしました。詰まった打球が入るようになった」

試合用のバットは82センチだった。おもしろいように外野フェンスを越え、スカウトの目に留まった。阪急や阪神捕手で、長く広島のコーチを務めた片岡新之介監督(74)は「つかまえきったときの打球の飛距離は半端ない。それが一方向ではない」とべた褒めする。

名前もいい。毘沙門天の多聞天と、祖母の出身地の大阪・千早赤阪村で生まれた武将、楠木正成の幼名、多聞丸に由来するという。多聞は戦うために生きる。「持ち味は長打力。長打を打てるようになりたい」。藤村さんの話に及ぶと顔を引き締めた。「コツコツ、まずは自分の名前を売ること。レギュラーになってコツコツ積み重ねて、最終的に超せたらいい」。校舎の一角。バットを構える藤村さんの写真が飾られていた。後輩を見守る、優しいまなざしのように映った。【酒井俊作】