センバツの特色ともいえるのが、01年から始まった「21世紀枠」。困難な練習環境や地域貢献活動など、特色ある高校が選出される。甲子園に立つ経験は、人生の大きな転機。21世紀枠で出場し、その後プロ入りした先輩のストーリーと、後輩へのエールを届ける。

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19年たった今も脳裏に刻まれる。04年の第76回選抜大会。一関一(岩手)は21世紀枠で49年ぶり出場を果たした。エースは04年ドラフト5巡目で巨人に入団し、現在はスコアラーの木村正太氏(36)。「一生の思い出です」と回顧する。

04年3月、拓大紅陵に敗れ甲子園を後にする一関一・木村正太
04年3月、拓大紅陵に敗れ甲子園を後にする一関一・木村正太

04年3月24日。相手は拓大紅陵(千葉)だった。「緊張でガチガチでしたけど、注目もされて楽しかった」。0-6で初戦敗退だったが、155球を投げ抜いた。スタンド、地元の熱気も忘れられない。創立1898年(明31)の伝統校。バスは40台以上が駆けつけた。羽織、はかま、つぶれ帽子、高げたのバンカラ気質の大応援団。昭和、平成と時代をまたぎ、卒業生たちもアルプススタンドに集まった。町を歩いていると、声をかけられるようにもなった。

毎年、東大合格者を輩出する進学校でもある。授業は7時間目まで。素質に恵まれた選手が集まるわけでもない。「勉強にも部活にも力を入れる高校からすると、甲子園に出るチャンスが大きくなるのが21世紀枠。貴重な枠なんです」。もともと甲子園もプロの世界も「現実的には考えられていない」のが本音だった。2年の秋。岩手大会を少しずつ勝ち進む中で21世紀枠の存在は、甲子園を現実的な目標にしてくれた。チームの成長は加速し、同大会を準優勝。東北大会も4強に進出。一般選考の2枠は1歩届かなかったが、21世紀枠によって、未知なる世界にたどり着いた。

「学生って成功体験が自信になって、どんどんうまくなっていくと思うんです」。自身もダルビッシュ有、佐藤剛士とともに「東北ビッグ3」と呼ばれるまでに成長し、同校初のプロ野球選手にもなった。21世紀枠の“後輩”にも思いを巡らせる。「僕らも正直、少しあったのですが、もしかしたら、実力で勝ち取っていないと引け目を感じてしまうかもしれない。でも21世紀枠で選ばれるのは、しっかり理由がある。自信を持って」とエールを送った。【上田悠太】

◆木村正太(きむら・しょうた)1986年(昭61)5月24日、岩手県一関市生まれ。南小2年時にスポーツ少年団で野球を始め、山目中では陸上の砲丸投げで県5位。一関一ではエースで4番、最速145キロの速球で春49年ぶり2度目の出場に貢献。04年ドラフト5巡目で巨人入団。09年は1軍で25試合登板の防御率3・38。その後は右肘痛などに苦しみ、1軍登板がないまま11年に現役引退。右投げ右打ち。