日刊スポーツ記者による「センバツ 熱戦の舞台裏」の第4回は、智弁和歌山の奥雄大外野手(3年)。外野手登録ながら三塁手として決勝まで戦った男の物語を紹介する。
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決勝戦から一夜明けても、智弁和歌山・奥の表情は曇ったままだった。横浜との決勝戦では「2番三塁」で出場。6回、痛恨の後逸で追加点を与えた。
大会前、阪神、楽天、巨人で15年間プレーした中谷仁監督(45)はこう話していた。「奥はすごい才能の持ち主だと思います。もっともっと前に出てきてほしいです。控えめなんで」。投げては最速141キロの直球で押す強気なスタイル。バットを構えた姿はドジャース大谷翔平をほうふつとさせ、通算10本塁打。昨秋までは投手と外野手の二刀流だった。
大会直前の3月上旬、思いもよらぬ知らせだった。奥は、昨秋に右肩を脱臼した遊撃手レギュラーの主将・山田希翔に代わる内野手として、三塁にコンバートされた。
センバツ初戦まで3週間。内野手用グラブは後輩に借り、原田(はらた)夏希コーチ(22)と夜な夜な宿舎近くの公園で“コソ練”を敢行し、特訓した。「毎日どれだけ原田先生が忙しくても、僕とゴロ捕をしたり、守備を教えてくれる」。幼い頃から地肩の強かった奥だが、反復練習を経て自信がついてきた。
初戦から準決勝まで1失策と難なくプレーしているように見えたが、甲子園の舞台は甘くはなかった。大一番での失策に、中谷監督は「甲子園の決勝でエラーした経験は、彼のステージがどんどん上がっていくことへの1つの要素になる」とあくまで、成長するための経験だと位置づけた。
周囲には「奈良で野球といえば、智弁学園では?」とも言われたが、己を貫き15歳で家を出た。
「智弁和歌山でプレーしたい。ジョックロックに憧れて、ここに来ました」
「雄大」の名は約4000グラムで誕生したことから「スケールの大きい存在に」と名付けられた。身長は父と兄を超え、188センチに。父隆彰さん(51)は社会人野球の日本新薬で17年間プレーし、7歳上の兄誠也さん(24)は奈良・一条でプレー。3年の18年夏には智弁学園の伊原陵人(阪神)と投げ合った。現在は昨夏都市対抗4強の西濃運輸に所属し、NPB注目の最速151キロ右腕だ。
兄も父も届かなかった悲願の日本一に近づいた春だった。中谷監督は「奥がサードにいなかったら、決勝まで来られなかったと断言できるぐらい、彼は頑張った。100点満点の働き」と振り返る。まだチャンスはある。真夏の甲子園で、栄冠をつかみ取る。【中島麗】
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◆奥雄大(おく・ゆうだい)2007年(平19)8月9日生まれ、奈良市出身。小3から若草ベースボールクラブで野球を始め、若草中では奈良ボーイズに所属。投手、外野手を務めたほか奈良県選抜のエースでボーイズ関西オールスターでは2位。智弁和歌山では1年春から背番号10でメンバー入り。50メートル走6秒1、遠投100メートル。188センチ、84キロ。右投げ左打ち。





