平成の中期以降、レガシーという言葉の解釈に幅が出てきた。「遺産」ではなく「後世まで評価されるべきモノ」に敬意を表して使う場合が増えた。キャンプも終盤、球界のレガシーを考証する。第1回は巨人の早朝散歩。上原浩治投手(43)と一緒に歩いた。

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朝6時20分、上原が青島グランドホテルから出てきた。2月2、3日の散歩に同行した。

宮崎の朝は遅い。闇の中、遊歩道を青島神社に向かって進んだ。打ち寄せる日向灘の波が等間隔で会話に割ってはいる。少し声量を上げて雑談が続いた。

「散歩って、いつから始まったんだろ。昔からずっと一緒。なくなる年もあるけど、結局ある。新人の頃からずっと歩いてるなぁ。年下の人がコーチになったりして、時間は流れてるけど…散歩はある」

「ですねぇ」

「合理的では…ないよな。1時間余計に寝た方が体にいいかもしれないし、ゆっくり風呂に入ったり、自分の時間に使った方がいいかもしれない」

「何時起きで?」

「6時だよ」

神社の手前で一本道を折り返す約1キロ。折り返し地点で点呼がある。上原は、すれ違う人全員に敬語で「おはようございます」とあいさつした。立ち止まって恐縮する若手もいる。

「えらい丁寧ですね」

「これでいい。暗くて顔が見えない。それに、若い子の名前を覚えきれない。人のことを気にしていられる立場じゃないし、性格でもない。全員にあいさつしておけば間違いはない。おはようございます! 今のは内田コーチ。やっぱり正解だ」

ニット帽とマスクを外した。「日中は暖かくなる予報だけど、朝はまだ寒いな」とすぐ元に戻し、肩をすくめた。

「今年も現役でいるから、こうやって散歩も雑談できるので」

「まぁ、なあ」

「40歳をすぎてまだ投げている。同年代、少なくとも自分にとっての希望だ」

「そう言ってもらえるとな。今は、開幕してからのことしか考えてない。シーズンで投げることだけ考えて練習するわ。で、お前はいつまで?」

「…今日。ケガに気をつけて」

「観光じゃん! 気楽でいいな。またな」

体調、機嫌、思考。何げなき会話に素の本人が転がっている。酒の力など借りずに、朝っぱらから、正直な気持ちを伝えることもできる。聞いた側も構えることなく受け止める。

正直「散歩、もういらないな」と思っていた。こうして書いてみると取材と一線を画した無防備なやりとりは心底では嫌いじゃなく、廃止となったら寂しい気持ちが先に来る気がする。

理詰めの現代、散歩に意味を求めると苦しいモノがある。ただそもそも散歩とは、意味を求めてはいけないたぐいのモノでもある。巨人の2軍キャンプは26日に打ち上げた。1カ月後をにらみながら、上原は今年も早朝のレガシーを完歩した。【宮下敬至】

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巨人の早朝散歩はいつ始まったのだろう。V9時代の主力、森祗晶氏(82=日刊スポーツ評論家)に聞いた。「私が入団したころ(1955年=昭30)にはなかったなあ。ただ、川上さんが監督になってからの数年間、10人くらいが指名され、早朝に宮崎の大淀川の土手を走らされたよ。川上さんが自転車で伴走するから、手を抜けなくてねえ(笑い)」。

当時のキャンプ宿舎は宮崎市内。川上哲治氏(故人)が監督に就任した61年からしばらく、20代の若手を中心に「早朝強化走」が行われていたもようだ。ただ、主力がベテランの域に達したV9時代には自然消滅したという。そういう森氏も西武の監督時代には朝の散歩を取り入れた。「規則正しい生活リズムをつくることは故障の防止にもつながる。まあ、寝坊防止の狙いもあったけどね」と笑った。