2008年(平20)の巨人は、阪神に最大13ゲーム差をつけられながら逆転優勝を果たした。坂本勇人、山口鉄也ら若手が台頭する中で、高卒4年目の東野峻投手(現DeNAスコアラー)は、平成で3人目となる「登板翌日の先発、完投勝利」を達成した。世紀の大逆転を加速させた完投劇を2回で振り返る。

      ◇       ◇

08年9月23日の広島戦、東野はブルペンで戦況を見守っていた。翌24日の先発を通達されていたが、当時は予告先発がなかった。通常なら練習後はチーム宿舎で先発に備えるが、シーズンも佳境で先発を隠すため「ダミーで入っていた」。

接戦になった。先発久保(現楽天)が5回2失点で降板。2番手の越智が2回無失点に抑えると、2点を追う8回に打線が逆転した。その裏、豊田、山口を投入するも同点に。ブルペンが慌ただしさを増す中、東野はマウンドに向かっていく先輩を送り出した。延長10、11回をクルーンが抑えると、12回表、ブルペンの電話が鳴った。

東野は椅子に座りながら、電話を取ったブルペン担当の投手コーチだった香田勲男(現阪神コーチ)の上ずった声を聞いた。「本当ですか? 明日、先発ですよ」。その時、ブルペンには東野とともに藤田、野間口が控えていた。東野は「まさかな…」と思いながら、香田を見つめた。「東野、12回からいくぞ」。

心も体も明らかに準備不足だった。ただ、若手がひしめき合っていた当時の巨人投手陣は登板に飢え、東野自身も投げられることが何よりうれしかった。翌日の先発も忘れ「分かりました」。すぐ体を動かし、ブルペンで10球も投げずに向かった。

プロ初先発、初勝利を挙げた同17日の横浜(現DeNA)戦以来の登板だった。チームは11連勝中。勢いに任せ、腕を振った。喜田、梵、東出の3人を18球で退け、引き分けに持ち込んだ。24日の日刊スポーツには試合後の東野のコメントが掲載された。

東野 肩をつくっていたので、いつでもいける状態だった。明日? そのときは頑張ります。

帰りのバスに乗り込み、ホッと息をついた。バスの中には延長12回を戦い抜いた疲労感と、負けなかった安堵(あんど)感、勝ちきれなかった悔しさが入り交じっていた。宿舎に到着すると、首脳陣から先にバスを降車した。年下だった東野は先輩が降りきった後、最後に降りた。

エレベーターで部屋に上がった。部屋の前には、投手コーチの尾花高夫がユニホーム姿で待っていた。「体は大丈夫か? 明日もいけるか?」と聞かれた。間髪入れずに「全然、いけます」と力強く言った。「重圧とかは全くなかった。投げたい、とにかく投げたいと思っていましたから」。いつも通り、グッスリと眠って翌日を迎えた。(敬称略=つづく)【久保賢吾】