南関東大会1回戦の熊谷戦に臨む前、佐倉一のキャプテン長嶋はナインの前でゲキを飛ばした。

 「みんな、思い切ってやろうじゃないか。やるだけ、やろうじゃないか」

 のちの「勝つ!勝つ!勝つ!」に比べると、少しばかりトーンが弱い。それには理由があった。

 相手のエースは、高校から東映入りする福島郁夫と強敵だった。しかも、佐倉一は千葉県大会で好調だったエース奈良誠が右肩を痛め、1番打者の鈴木英美も前日の練習で足を痛めていた。

 長嶋 2人のけが人がいた。そのチームで試合をやるのは、気持ちの上ではね…何というかな、ちょっと弱いかなっていう気持ちはありましたよ。

 エース奈良は1回にいきなり3点を失った。悪いことは続く。途中から遊撃を守っていた林田勇が右肘に死球を受け送球ができなくなり、急きょ1年生が出場した。

 劣勢のまま試合は進んだ。5回を終わって0-3。熊谷のエース福島を攻略できなかった。

 そして迎えた6回。4番長嶋は、バックスクリーンへ大ホームランを放った。

 残念ながら映像は残っていない。証言からどんなアーチか想像したい。

 長嶋 真っすぐだよ。真ん中高め。見逃せば、ちょっとボールだったかもしれないな。高めにきたから思い切り振ろうと。ライナー性で打球が強くて、そしてホームランになったんだ。

 寺田哲夫(1年後輩) 打った瞬間は「あれ、行くかな?」という当たり。普通の打球ですよね。それがどんどん伸びて入った。

 加藤哲夫(当時監督) 打球が見えないんですよ。ずいぶん速かった。その状態でバックスクリーンに入ったんで、本人も驚いたようにベースを回っていました。

 1982年に発刊された「佐倉高創立80周年記念校史」の中では、ホームイン後に長嶋が「よく入ったなあ」と、人ごとのようにつぶやいた話が紹介されている。

 どんなアーチか、イメージが湧いただろうか。

 --真ん中高めの直球を長嶋が強振すると、打球は弾丸ライナーになってグングン伸びていった。そしてバックスクリーンへ飛び込んだ--

 実は予告弾でもあった。試合前日に県営大宮球場で練習した際、長嶋は加藤の前で「ここで1本打ち込みたいな」と、つぶやいたという。

 加藤 確かに言ったんですよ。「ここで1本入れたい」なんてことを。プロに入った後も後楽園に行って、試合前に会った時に長嶋が「今日は1本打ちたいですね」なんて言った日は、本当に打っているんですよ。集中力が高まるんですかね。実現しちゃうんですよ。

 試合は1-4で負けた。だが、唯一の得点をたたき出した長嶋の1発は、彼の野球人生を変えた。プロ、社会人、大学による争奪戦が始まったからだ。

 ただ、長嶋にとっては、それ以上の価値があった。立大で当時の6大学新記録となる8本塁打、プロで444本塁打を放ったが、そのどれにもない価値があった。

 それは父利(とし)の前で打った唯一のホームランだったからだ。(敬称略=つづく)

【沢田啓太郎】

(2017年4月26日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)